2021年4月18日の説教要旨 列王記上17:8-24・コロサイ書3:1-11

「新しい命」      加藤秀久伝道師

*はじめに

 列王記上17章の始めには、エリヤが紹介されています。エリヤは、アハブ王に“干ばつ”を預言した預言者です。主の言葉がエリヤに臨みます。

今まで住んでいる所を離れ、ヨルダンの東にあるケリトという川のほとりに行き、身を隠せ」との言葉です。エリヤは住んでいる所を去り、その場所へ行き、とどまりました。エリヤは主の語りかけに答え、行動しました。彼は主の御心にかなった人でもありました。主はエリヤに、ケリト川の水と、数羽のカラスを送って食べ物を運ばせ、彼を飢えから守り、その後、飲み水であった川が涸れた時、主は再びエリヤに語りかけます。

*サレプタの一人のやもめ

 本日の箇所は、主の言葉から始まります。「立ってシドンのサレプタに行き、そこに住め。わたしは一人のやもめに命じて、そこであなたを養わせる」。そこでエリヤが町の入り口まで来ると一人のやもめが薪(たきぎ)を拾っていました。エリヤはやもめに声をかけ「器に少々水を持って来て、私に飲ませて下さい。」と頼み、さらに、「パンも一切れ、手に持って来て下さい」と言いました。しかし彼女はエリヤに、「私には焼いたパンなどありません。ただ壺(つぼ)の中に一握りの小麦粉と、瓶(かめ)の中にわずかな油があるだけです。私は二本の薪を拾って帰り、私と息子の食べ物を作るところです。私達は、それを食べてしまえば、あとは死ぬのを待つばかりです。」と答えました。エリヤは心配しないように告げ、先ずエリヤの為に小さいパン菓子を作り、そのあと自分達のために調理するようにと伝え、さらに主の言葉も伝えました「主が地の面に雨を降らせる日まで、壺の粉は尽きることなく、瓶の油はなくならない」と。私達だったらどうするでしょうか。このやもめは、その言葉通りに作り、与えました。するとエリヤの語った言葉通り、壺の粉も瓶の油も尽きることなく、彼女もエリヤも彼女の家の者も、食べ物を食べることができたのでした。

*息子の死

 ところがその後、息子が病気にかかり、病状は非常に重く、ついに息を引き取りました。やもめにとって、かつて死を覚悟したもののエリヤとの出会いにより奇跡がもたらされ、家の者達も生き延びることができたにもかかわらず一人息子が死ねば、これ迄生き延びたことは返って昔の不幸や、 それに伴う罪責が思い起こされ、結局は息子の生命を奪うためにエリヤが来たことになる・・と、やもめはエリヤに訴えました。

*「あなたはまことに神の人。あなたの口にある主の言葉は真実。」

エリヤは母親から息子を受け取り、自分のいる階上の部屋の寝台に寝かせて祈りました。そして子供の上に身を重ねてから「主よ、わが神よ、この子の命を元に返してください。」と祈りました。しかも一度だけでなく、三度も神様に訴えています。この身を重ねて祈る祈り方は、エリヤの祈りの切実さと、身を重ねることによって心臓の鼓動が亡くなった子供に直接伝わることで、エリヤの癒しの願いの真剣さがそこにあることを伺うことができます。主は、エリヤの祈りを聞き入れて、命を戻されたので子供は生き返りました。母親は、エリヤがまことに神の人であり、エリヤの口にある主の言葉は真実である、と、告白しました。

*「あなたがたはキリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」(コロサイ3:1-2)

 本日のコロサイ書は、神様を信じること、神様がなさることに目を  とめることを私達に教えています。私達がどんな状況にあろうとも目に見える今の状況に左右されることなく、真実を見ようとすること、神様の言葉を信じること、神様に思いを寄せること、神様を求めること、神様に祈ることです。私達は、神様との交わりを通して日々新たにされなければ、この地上で神様との正しい関係を築き上げていくことはできないと思います。私達はこの地上に存在し、この地上には誘惑されるものが沢山あります。それゆえ私達は、「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい」と、うながされているのです。