「信仰による真実」 加藤 秀久伝道師
*はじめに
アブラハムの時代から神様とイスラエルの民との間には契約が立てられ、契約のしるしとして男子は皆、生まれて8日目に「割礼」を受けました(創世記17章)。しかしエジプトを脱出した時の民は、カナンを目指して荒れ野でさまよい歩く40年の月日の中で死に、今、カナン侵入を目の前にしている人々は、荒れ野で生れた「割礼」を受ける機会がなかった彼らの息子達でした。神様はモーセの後継者となったヨシュアに、契約のしるしである「割礼」を施すように命じられました。神様は、イスラエルの民に与えた「約束の地」でこれからなさろうとしている事を前に、先ず始めに、イスラエルの民の男子を聖めることを命じられました。(ヨシュア記5章)
*主の軍の将軍
彼らが最初に占領する町は、城壁の門を堅く閉ざした「エリコ」という、要塞と呼ぶにふさわしい町でした。ヨシュアがエリコのそばに来ていた時、抜き身の剣を持った主(神)の軍の将軍と出会い、この戦いが主のものであることを示されました(5:13~)この事は、これから起こる全てのことは主の指示に従って歩むことを意味しており、イスラエルの人々が、全知全能の神を再び知ることでもありました。
ヨシュアの前に現れた「抜き身の剣を持った主の軍の将軍」と同じように、私達の前にも、時に、素晴らしく偉大な力強い姿で主は現れて下さり、その圧迫感、圧力の凄さを前に、私達はひざまづき、身をかがめて礼拝をすることが出来ます。私達は毎日、そのための時間を作り、体験しているでしょうか?
*エリコの占領
神様はヨシュアに、「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す(2節)」と言われました。エリコの町はイスラエルの人々の攻撃に備えて、誰も出入りが出来ないように閉ざされていました。イスラエルの人々は、城壁で囲まれた町を攻略するための戦略方法も分かりませんでした。しかしどのような強力なセキュリティー・システムを用いていても、神様は神様を信じる者達に、悪の敵の城壁を打ち破る方法を教えて下さいます。神様は、エリコを攻略する方法を次のように指示されました。「イスラエルの兵士達は皆、エリコの町の周りを一周し、それを六日間続け、七日目には町を七周し、祭司達は角笛を吹き鳴らし、それが聞こえたら民は皆、「鬨(とき)の声」をあげる」でした。ヨシュアは主の命じられた通り、すべてそのように行いました。七日目には町を七周回った後、角笛が吹き鳴らされ、それを聞いた民が鬨(とき)の声をあげると城壁は崩れ落ち、民は町に突入して占領出来たのでした。
*「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」
本日のヘブライ人への手紙11章7-22節では、信仰は霊的な真実の世界を見通すことができ、実際には見えないけれども、それが真実であることを確信することであると告げています。それは神様の約束の実現や、すべてのことを神様に明け渡すことによる神様との信頼関係から与えられるものだと思います。ノアの時代、世界は神様から離れてノアのしていることを馬鹿にしました。信仰に基づく義とは神様の賜物であり、見えない神様の約束を信じる者に与えられるものです。
アブラハムの信仰は、神様に告げられた言葉だけを信じて、行き先も知らずに出発したことから始まります。
*わたしたち
私達はどこに神様を求め、神様が存在して下さる場所を作っているでしょうか?私逹が神様を信じ続ける神聖な場所を作る秘訣は、ヨシュア記のエリコの町のように、堅固な城壁を作ることではなく、私達が生活して行く中で、この「聖書」という真実な言葉があり、目には見えず、感じることしか出来ないお方、心に宿る、確かなお方が私達にはいる、在るということです。
その神様が、私達に、共に声を合わせて、主は全てにおいて勝利されたことを宣言しなさい、と伝えているのです。私達は、今日のこの日に、主が共におられることに感謝して一週間の歩みを進めて参りましょう。