12月12日の説教要旨 イザヤ書7:10-17・ルカ福音書1:26-38

「主イエスの誕生の予告」    加藤秀久 伝道師

*はじめに

本日のルカ福音書は、洗礼者ヨハネの誕生予告の続きです。神様は天使ガブリエルを祭司ザカリアのもとに遣わし、妻エリサベトに子供が生まれるとの喜ばしい知らせを伝えました。ザカリア夫婦は長年子供が与えられず祈ってきましたが、今は二人とも年をとっていました。そのような時、天使ガブリエルによって祈りが聞き入れられたことを知らされました。

それは何よりも嬉しいことであったはずでしたが、ザカリアはこの知らせに戸惑い、素直に受け入れられず、しるしを求めたため、子供の誕生まで口が利けなくなりました。

おめでとう

 6か月目に天使ガブリエルは再び遣わされて、マリアのもとに来ました。そして「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」と告げたのです。マリアはこの言葉に戸惑いながらも、この挨拶は何のことかと考え込みます。この「おめでとう」の元の言葉は「ご挨拶申し上げます」「こんにちは」などの挨拶の時の言葉です。しかし私達の聖書も他の日本語訳聖書でも、この言葉は「おめでとう」と意図的に訳されています。

この「おめでとう」の中には、マリアだけに与えられた喜びではなく神様に創造された全ての人々に対しての「喜びの知らせ」、神様を信じる者達にとってかけがえのない、待ちに待った「喜びの知らせ」となるはずです。

*聖書で用いられる「喜び」

 ルカによる福音書10章に、イエス様から派遣された弟子達が戻って、イエス様に報告する場面があります。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します(17節)」と喜ぶ弟子達に、イエス様は、「そのことに喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と答えられています。この言葉の中に、「喜びの根源」があると思います。本当の喜びは、私達の働きや行いによって与えられる喜びではなく、神様を信じる者達が、天に名前が書き記されていることを喜ぶ「喜び」、真実を知ることが出来る「喜び」、又、このような「わたし」でも神の国に入ることができるという信仰が与えてくれる「喜び」です。この喜びの「知らせ」を受けるマリアは、「おめでとう」と呼びかけられました。

*マリアの応答

 天使ガブリエルの言葉を聞いてマリアは戸惑いましたが、その言葉を心に納めて、この出来事の意味を考えようとしています。素直で純粋に、御使いの言葉をそのまま受け入れているように思えます。自分ではよく分からない事柄に対しては、すぐに答えを出さず、それを心の中に一旦納めて、慎重に考えてから答えを出す人物だったようにも考えられます。御使いは続けて「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。・・」と語ります。マリアは「どうして、そのようなことがありえましょうか。」と驚きますと、御使いは、親族エリサベツにも今、胎内に男の子が宿っていると伝え、「神に出来ないことは何一つない」と答えました。そこでマリアは「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」と答えました。

ここにマリアの信仰(神様を畏れ、敬い、御使いの語る言葉を受け入れて、自分の身に成ることを待ち望む)を、私達は見ることが出来ます。

*わたしたち 

さて、私たちはどうでしょうか。主の御使いの「おめでとう」という言葉を、私たちはどのように受け止め、留めることができたでしょうか。

私たちには、イエス様の誕生日に共に集まり、心から「おめでとうございます!」と言い合える仲間や家族・友人がいるでしょうか。

又私達は、本当にイエス様のお誕生を心から待ちわびているでしょうか。

もし、この世界・この地上でイエス様の御誕生の出来事がなければ、私達を罪から救いへと至らせる道、神の国に入る道はなかったでしょう。

すべてはこのお方の登場で始まり、終わりがあります。今週一週間、私達はイエス様のことに思いを巡らせながら、共に歩んで参りましょう。