2022年3月20日の説教要旨 イザヤ書48:・1-8、Ⅱテモテ1:8-14

信頼をおく」    加藤 秀久伝道師

*はじめに

イザヤ書は大きく三つに分けられ、それぞれ書かれた年代も著者も異なり、本日の48章の著者は、仮の名前で第二イザヤと呼ばれています。

注 (第一イザヤ:1-39章、第二イザヤ:40-55章、第三イザヤ:56-66章)。

B.C.586年、南王国ユダはバビロニア帝国によって滅ぼされ、民の多くは首都バビロンの郊外に連行されていきました。そしてペルシア王キュロスによって解放されるまでの約半世紀を、人々は囚われの民としての生活を送っていたのでした。48章は、バビロン捕囚の末期からエルサレムへ帰還する頃まで活動した第二イザヤが、囚われの民として生きる人々に語った主の言葉です。前半では神様の叱責と警告、後半は祖国イスラエル・神の住む都エルサレムに帰ることができる(解放の時が近づいている)という希望と、第二の出エジプトのように、神様が守り導いて下さる救いを知らせる励ましの言葉が語られています。

ヤコブの家よ」(1節)

神様は「ヤコブの家よ、」と呼びかけられます。これは「族長ヤコブ」の12人の息子達が各々の部族の祖となったことからイスラエルの民全体をさします。呼びかけに続き「まこともなく、恵みの業をすることもないのに 主の名をもって誓い イスラエルの神の名を唱える者よ」と、人々が神様に対して、偽りのない真実な、正しい態度でかかわることをしてこなかった(正しい関係作りをしてこなかった)と指摘し、彼らは口先だけ「主に信頼している」と言い、主の名を呼んだり、誓いを立てたり、祈ったり、と見せかけだけの信仰へと変わってしまい、心は固くなり、素直に神様の言葉に耳を傾けず、他人のことを思いやることなく自己中心主義者になり、不信仰の民になってしまったと言われます。けれども神様は、神様の御栄光が汚されないために「怒りを抑え、耐えて、お前を滅ぼさないようにし(9節)」、「あなたを導いて道を行かせる。わたしの戒めに耳を傾けるなら、平和は大河のように恵みは海の波のようになる(18節)」と約束されました。

*わたしたちの時代

 ヘブライ書には「神はかつて、預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました(1:1-2」と記されています。

 かつて神様が第二イザヤを通して民に語られたように、私達の時代においても、御子イエス様を遣わして語られました。語られた言葉が必ず起こる過程においては、私達の、どこか心の奥に潜めている疑いや、隠した行い、根強い不信仰などが少しずつ明らかにされていきます。

自分が信頼している方を知る」(12節)

本日のⅡテモテへの手紙でパウロは、主を証しすることや主の囚人であることを恥じてはいないし、あなたも恥じてはならないとテモテに告げます。なぜならパウロは、自分が信頼している方を知っているからだと言います。神様を信じる私達がパウロと同じ立場に立つことは、イエス様に対して信仰を告白する者の一人になるということです。パウロと共に苦しむことは、人々に良き知らせである「福音」を伝えるための苦しみであり、たとえどんな苦しみであっても、神様の力を受けてしっかりと立ち向かう“神様の言葉に立つ”能力が与えられるということです。 

9-10節には、「神がわたし達を救い、聖なる招きによって呼び出して下さったのは、わたし達の行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。」とあります。神様は聖なる呼びかけをもって私達に救いを与えて下さいました。その救いが、もし「行い」から来るならば、その救いに与かった人は、何か問題が起きた時に心が揺れ動かされて離れてしまうことになります。しかし救いが,神様の恵みによるものなら、それは永遠に変わることはありません。確かにイエス様は私達の罪のために十字架にかかり、死なれ、三日目に復活され、天に昇られましたが、聖霊を送って下さり、今もこうして神様を信じる私達の心の中におられます。神様の呼びかけと恵みは、ただ主イエス・キリストを通してのみ与えられるものです。救いはこの世に生きるすべての者に向けられている神様の恵みであることを忘れず、今週も歩んでまいりましょう。

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