2022年4月17日の説教要旨 詩編114:1-8・ヨハネ20:1-18

復 活 の 日」      加藤 秀久伝道師

*はじめに

イースター、おめでとうございます。イースター(復活祭)は、イエス様が十字架にかかり、死なれ、復活した日をお祝いする日です。

週の初めの日、マグダラのマリアは、朝早く、まだ暗い内にイエス様の身体が納められているお墓に行きました。

「週の初めの日」とは、ユダヤ教では安息日が金曜の日没から土曜の日没までで、イエス様が亡くなられたのは安息日の準備の日(金曜日)でした。「イエスは、ご自分が必ず多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子達に打ち明け始められた。」(マタイ16:21)とありますので、三日目は日曜日にあたります。

*週の初めの日

「週の初め」の「初め」という言葉には、ヘブライ語で「第一、一番目」という意味だけでなく「唯一、たった一つ」という意味もあります。

創世記1章1節~5節に、初めに神様は天地を創造され、地は混沌(こんとん)としていて闇(やみ)が覆っていましたが、神様は、「光あれ」と言われて、光を見て「良し」とされました。混沌としていた闇の中から、光とやみを区別されたのです。神様は光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれ、夕べがあり、朝がありました。それが第一の日の出来事、唯一の出来事として記されています。

ここで神様は、光は救いであること、闇は滅びであることを示そうとしたのかもしれません。神様は、神様のことを信じる者と信じない者が混ざり合って混沌としている、この世界・社会を、光と闇、救いと滅びで、はっきりと分けようとしているのだと思います。

神様は、この世界を創造された時から、そして、このお方を信じた時から、受け入れた時から、私達は 神様の照らす光の道を歩くことができるのです。神様は全てのことに計画を立て、神様の「時」に、様々な出来事を、私達の目に見えるように、分かるような形で行なって下さるのです。

*墓の入り口には大きな石を転がしておいた(マタイ27:60)

 イエス様が十字架につけられた所には園があり、そこにはまだ誰も、葬られたことのない新しいお墓があり(ヨハネ19:41)、イエス様の遺体はそこに納められました。マタイ福音書には、アリマタヤ出身のヨセフが、イエス様の遺体を受け取り、きれいな亜麻布に包んで、岩に掘った自分の新しいお墓に納めて、お墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去ったと報告されています。

マグダラのマリアが訪れた時には大きな石は取りのけてありました。朝早く、まだ暗かったのでマリアにとって何とも不思議な光景だったと思います。「お墓」の原語には、「回復する国の計画」・「国王の帰還」との意味があります。イエス様のよみがえり、復活すべき国王が帰還したとの、神様の御計画の実現を伝えています。

地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に 」(詩編114:7)

 さらに注目する点は、お墓の石が取り除かれていたことです。これは本日の詩編「地よ、身もだえせよ、主なる方の御前に 」とあり、「身もだえせよ」の原語では、ねじまげるとか、ゆすぶる、苦しめるという意味があり、マタイ福音書28:2には、この時、「大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。」と記されています。神様は、神様のご計画を実行する時に、大地を揺り動かしてまでも、(大地を身もだえさせてでも)、その力を私達人間に現わし、体験させるようになさることが分かります。

*復活の日

 復活の日は、第一日目、週の初めの日に来なくてはなりません。

なぜなら、全ての出来事の中には神様の計画された日があるからです。それらは、私達にとって、唯一の日、たった一つの日になるからです。そして日曜日が、復活したイエス様の日、初めの日の出来事として私達が覚え、集まり、祈る。このことを通して、私達、神様を信じる者達が一週間、神様に導かれ、守られ、神様と共に生きる喜びを知り、イエス様が、私達一人ひとりの心の内におられることを知っていくのです。

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