2022年10月2日の説教要旨 イザヤ書30:15-21・ロマ⒓:1-2

世界宣教の日「神に倣い,キリストに倣い,パウロに倣う。」  佐藤義子

*はじめに

 本日のロマ書12章には、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげなさい」とあり、これこそ、私達のなすべき礼拝であると教えています。私達は毎週礼拝で、神様を讃美し、一週間守られたことを感謝し、懺悔の祈り、今日から始まる新らしい一週間の歩みが神様のみ旨に沿うように、聖書を通して神様からのメッセージを聴き、慰められ力づけられ、神様への感謝のささげものを献げて、再び社会へと送り出されていきます。この礼拝で、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとしてささげる」とは、どういうことでしょうか。

*ささげる

神様を礼拝することは「神のものは神にお返しする(マルコ12:17)」こととも言われます。神様の恵みによって与えられたもの・・私達の第一の所有物は自分の体です。礼拝に於いて自分の体をいけにえ(犠牲)としてささげることを考えると、「私は弱く、足りないものだらけで、あなたに救われた者ですが、献げるにはふさわしくありません」と答えなければならないでしょう。しかしロマ書では、もし自分の体から「犠牲の供え物」をささげるならば、それこそ生きた供え物として神様に喜ばれるなすべき礼拝であると教えます。たとえば、自分は悪くないのに攻撃を受けて「怒り」を覚えたとします。その「怒り」は神様への供え物にはなり得ません。しかし私達が誤解され自分を攻撃した人を(神様の教えに従うため)赦せるように祈り、赦せたとします。その赦しが(赦すことが出来た自分が)、神様に喜ばれる供え物になるのではないかと思います。私達が神様への積極的な服従によって礼拝がなされる時、神様の み旨(むね)がなされます。

*世界宣教の日(10月の第一日曜日)                  

教会には毎年、日本から送り出している宣教師の方々の働きを紹介する冊子が送られてきています。本日の説教題を「神に倣い、キリストに倣い、パウロに倣う」としましたのは、宣教師の方々の歩みが、以下の聖句にあるように思い至ったからです。

*あなた方は神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい」(エフェソ5:1)。私達が神様から愛されていることは、神様が私達に独り子イエス様を送って下さったという事実を自分のこととして深く知ることでわかります。(こんな罪深い私の為に、神様は私を神様の子供とするためにイエス様を送って下さり、私の罪を赦すために十字架の犠牲という大きな代償を払って下さった)。だから、私は神様から愛されている。その神様の愛に倣う者となりたいと願うようになります。

*わたしがキリストに倣う者であるように(コリント11:1)

「倣う」は「見本にする」「模範にする」ことです。ペトロの手紙は私達を励まします。「善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、これこそ神の御心に適うことです。あなたがたが召されたのはこのためです。・・キリストもあなたがたのために苦しみを受け、その足あとに続くようにと、模範を残されたからです(2:21)」。

あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」(コリント11:1)

フィリピ書でもパウロは、「わたしは・・・何とかして捕えようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです(フィリピ3:12-16)」と、励ましています。宣教師の方々も、ここにおられる皆様も、私も、神様から同じように信仰を与えられた者達であり、今、信仰の種を蒔かれている方々です。信仰の種は、きれいな空気と澄んだ水、太陽の光を受けて(日毎の御言葉と祈り、礼拝を始めとする教会生活、信仰者たちとの交わり他)ぐんぐん大きく育ち、やがて鳥が来て枝に巣をつくるほどの木になります。成長に必要なすべてのものは、求めさえすれば、神様が必ず豊かに与えて下さることは多くの宣教師の方々が証言されています。福音宣教の為、困難の中、外国の地で働かれている宣教師と御家族のため祈りましょう。同時に私達の宣教の業が用いられていくように祈りましょう。