2023年2月19日の説教要旨 詩編46編1-12・ルカ福音書9:10-17

「奇跡の中にある真実」     加藤 秀久牧師

*はじめに

イエス様の弟子達は、イエス様のそばにいて、イエス様の教えを聞き、イエス様の力ある御業を見てきました。本日のルカ福音書9章の初めにはイエス様が12人の弟子達を呼び集めて、「あらゆる悪霊に打ち勝つ力、病気を癒す力と権能(それをする資格)をお授けになった」こと、そして神様の国のことや、神様からの喜ばしい知らせを伝えるため、又、病人をいやすために弟子達を村々に送り出したことが記されています。弟子達はイエス様がお命じになったように福音宣教と病気のいやしのために働き、その後イエス様の所に戻って活動の報告をしました。イエス様はその報告を聞いてから弟子達だけを連れてベトサイダという町に退かれました。

*ベトサイダに退く

ベトサイダは、弟子のペトロとその兄弟アンデレ、およびフィリポの出身地でもありました(ヨハネ1:43)。聖書は、イエス様が「ベトサイダに退かれた」と表現しているので、おそらく群衆から離れて祈りや瞑想など、すべての働きの源となる力を神様から受けるために静かな落ち着いた、人里離れた場所を求めて移動したと思われます。

*弟子達の心配と、イエス様による奇跡の出来事

ところが群衆は、そのことを聞きつけてイエス様と弟子達を追いかけてきました。そこでイエス様は再び群衆を迎え入れて、神の国について語り、病をいやされました。しかし日も傾いてきたため、弟子達は今いる場所が人里離れているので群衆の食事や宿のことを心配し、イエス様に、群衆を解散させるように頼みました。しかしイエス様は、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われました。弟子達は、ここには5つのパンと2匹の魚しかなく、自分達が5千人ほどの人の食べ物を買いにいかなければならないと言いますと、イエス様は群衆を、50人位ずつ組みにして座らせ、「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせ」ました(16節)。

イエス様が、5つのパンを「裂いて」とありますから、祝福されたパンと魚を小さく裂き弟子達に渡される段階で次々と増えて、集まった群衆に十分過ぎるほどで、すべての人が食べて満足して、残ったパン屑が12籠もあったと記されています。このように、神様の国においては、神様からの祝福はすべての人々に必要な分が十分に満たされるほど、完全に与えられることを私たちは知ることが出来ます。

*詩編の「セラ」

 4節・8節・12節の下に、カッコで「セラ」とありますが、これは音楽に関する術語で、「休息、安息、休止」の意味の他、「上げる」という動詞から来た言葉とも言われています。1節で「指揮者に合わせて」とあり「」とありますから、それぞれの節を歌った後、休止して今、言い表された言葉の内容を、十分心に留める(味わう・吟味する)時を持ったとも考えられます。

 11節には「力を捨てよ、知れ わたしは神。」とあります。これは、静まること、一人になること、沈黙すること、止まること」です。神様の祝福や恵みは、神様がおられる聖所にあり、そこには十分すぎるほどの霊の満たしがあります。私達は、神様のためにセラ(休み、リセット)の時間をとって、「手を留めて働くことから離れ、完全に休み、休息を取り、心を落ち着かせる」ことが必要です。それが生活の一部になり、生活習慣としての広い意味での安息、休息を得ることができるのです。

*わたしたち

 最近は、様々な情報がインターネット上で飛び交う社会になり、技術発達により、生活環境は大きく変化し、本当の真実は何か、誰を信じ、どの方向に目を向ければいいのかなど、社会状況は混乱しています。

私達に必要なのは、神様との時間を作るセラ(安息の日、休みを取る日、神様に献げる日、信仰を告白する日)の時です。イエス様の祈りと祝福は、群衆すべての空腹を満たしました。私達は忙しい毎日の生活から離れて、日曜日に、神様のおられる場所で神様との時間を作り、(困難な時はそれに代わる時間を定めて:マタイ6:6)、一週間の歩みを始めましょう。