説教要旨 「天からの権威」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 21章23-27節 23 イエスが神殿の境内に入って教えておられると、祭司長や民の長老たちが近寄って来て言った。「何の権威でこのようなことをしているのか。だれがその権威を与えたのか。」 24 イエスはお答えになった。「では、わたしも一つ尋ねる。それに答えるなら、わたしも、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。 25 ヨハネの洗礼はどこからのものだったか。天からのものか、それとも、人からのものか。」彼らは論じ合った。「『天からのものだ』と言えば、『では、なぜヨハネを信じなかったのか』と我々に言うだろう。 26 『人からのものだ』と言えば、群衆が怖い。皆がヨハネを預言者と思っているから。」 27 そこで、彼らはイエスに、「分からない」と答えた。すると、イエスも言われた。「それなら、何の権威でこのようなことをするのか、わたしも言うまい。」 /nはじめに  本日の聖書では、祭司長や民の長老が、イエス様の言動に対して「何の権威でしているのか」「誰がその権威を与えたのか」と問い正しています。「権威」(英語でオーソリティ)とは、辞書によれば一番目に、裁定・命令などを強制し得る権力・権威(一般に人を信服させる威信、権威)二番目に委任、権限、職権、認可、承認と説明されています(以下、九番目まで説明があります)。ある神学者は権威を「外的な権力・物理的力」と「内的な力」に分けて考えます。外的な力は、その背景にあるもので成り立っており(たとえば戦争中の軍隊)、背景がなくなれば力も消滅するような性質のものです。それに対して内的な力から出てくる権威は、外側の状況の変化に影響されることはありません。 /n宗教的指導者が問題にしたこと  質問をしてきた彼らは、エルサレム神殿において外的な権力をもっていた人達でした。彼らはイエス様が神殿の境内で商売をしていた人達を追い出した出来事について、又、その他の言動について、その根拠を問いました。イエス様の言動を見過ごしにしてしまったら、自分達の威信が傷ついたままになると考えたのでありましょう。 /nイエス様のこたえ  イエス様は彼らの質問に正面からお答えになりませんでした。イエス様がなぜ神殿で商売している人々を追い出したのかといえば、神殿が、真の礼拝が行われるのにふさわしい場所でなくなっていた(宗教の堕落)からであり、イエス様の行為は、神の子として神様から与えられた権威のもとでなされたということです。しかしそれを語れば、自分を神とし、神を冒涜したこととなり、イスラエル社会では決して許されず、死を意味しました。イエス様が死刑にされたのは結局はこの罪によるものでしたが、今この時点が、ご自分の「その時」とは考えておられませんでした。彼ら達の悪意のわなにかからない為にイエス様は質問を返されました。 /nバプテスマのヨハネの洗礼は、天からのものか?人からのものか?  ヨハネは、今のままでは救われないこと、滅びが待っていること、それゆえに悔い改めの洗礼が不可欠であることを語りました。多くの人々が洗礼者ヨハネのもとで、悔い改めの洗礼を受けました。イエス様は、ご自分の言動の根拠を問い正す彼らに対して、ヨハネの洗礼は天からのものか、それとも人からのものか、と尋ねられたのです。 /n分りません  「天から(神様から)」と答えたならば、なぜあなた達は信じなかったのか、と問われるでしょう。何よりもバプテスマのヨハネがイエス様をメシア・救い主と認めていますので、イエス様を受け入れない彼らの信仰は自己矛盾に陥ります。一方、ヨハネの洗礼はヨハネ個人のものだといえば、ヨハネの洗礼を神様から来ていると信じる多くの人々は、祭司長や長老達の不信仰を問題にして、反感を持つだろうと考えました。そこで彼ら達が出した結論は、「分らない」というものでした。 /n「無知」を装う  人は常に曖昧性の中に自分の身を置こうとします。無難であり、自分を隠せるからです。本当にわからないものをわからないというのは正直であり、真実です。しかし彼らは「無知」を装いました。なぜなら自分を罪ある者としたくなかったのです。自分を罪ある者と認めるならば、悔い改めてイエス様の前にひざまずかなければなりません。それはしたくないのです。神殿を背景にした自分達の権威を損なうことは耐えがたく、彼らは自己保身の為に、見せかけの無知を装いました。 /n優先順位  「何が本当なのか?」ではなく「何をいうのが安全か。」「どうすることが自分を守る道なのか」と、外側の権威を優先させて生きる生き方は、人を臆病にし、硬くし、悔い改めの機会を失います。彼ら達は真理の道に戻る機会を、自ら閉ざしてしまった人々でした。私達はどうでしょうか。人から与えられた権威の下で自己を守る道か、それともイエス様と同じ権威の下に身を置いて神に従う道か。決断を求められています。