説教要旨 「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」 牧師 佐藤義子

/n[マタイによる福音書] 24章3-14節 3 イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」 4 イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。 5 わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。 6 戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。 7 民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。 8 しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。 9 そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。 10 そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。 11 偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。 12 不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。 13 しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。 14 そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」 /nはじめに  神殿を出られたイエス様がオリーブ山に座っておられた時、弟子達が近付いて来て終末はいつ起こるのか、どんな前兆があるのかを「ひそかに」質問しました。本日の聖書個所から25章にかけて、その質問に答える形で弟子達だけに向けられた説教が記されています。 /n初めと終り  すべての事柄には初めがあり、そして終りがあります(入学式-卒業式、就職-退職、スタート地点-ゴール地点、月初め-月末、新年-年末、誕生―死)。この世界も「天地創造」という初めの時があって、「終末」という終りの時があることを、聖書は当然のように語ります。  終末については旧約聖書(ダニエル書)に預言の記述がありますが、新約聖書にも福音書以外にコリント書、テサロニケ書、ヨハネの黙示録などに記されています。(その内容は必ずしも一致していない為、神学者の間でも議論があり、終末観は人それぞれ違います。終末のイメージは違っても)私達は毎週礼拝の中で、使徒信条「(主は)かしこより来りて生ける者と死ねる者とを審き給わん」とイエス・キリストの再臨(イエス様が再び来られる)を信じ、告白しています。私達は未来のことを見ることは出来ませんが、聖書の言葉を信じる信仰が与えられ、聖書を通して語られるイエス・キリストの言葉が真実であり真理であることを、聖霊の助けによって確信しています。 /nそのことはいつ起こるのですか  弟子達のこの質問に対して、イエス様は「その日、その時は、だれも知らない。天使達も子も知らない。ただ父だけがごぞんじである。」(36節)と答えられました。 /n終末にはどんなしるしがあるのですか  この質問に対してイエス様は、にせメシアの出現、戦争の勃発とそのうわさ、各地での飢饉や地震をあげています。又、信仰者に直接ふりかかる災難については、外からの迫害、内からの離脱者、裏切り行為、偽預言者の出現と相互不信、信仰の衰退が予告されます。そしてこれらは世の終りではなく「産みの苦しみの始まり」(8節)と教えられました。戦争・飢饉・地震については、すでに国内・国外において多くの事例があります。偽メシアについても「イエスの方舟」など時折あやしげな教祖の話を耳にします。聖書ではこれらに加え、さらに外からの迫害、それによる多くの人のつまずき、裏切り、人々の間での憎しみ、にせ預言者によるまどわし、不法のはびこり、愛の冷却など、私達にとって厳しい状況が起こることが伝えられます。 /n私達に求められていること  「人に惑わされないように気をつけなさい」(4節)「あわてないように気をつけなさい」(6節)「最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(13節)。私達は聖書を通して、このようなことが起こりうることを知らされています。それゆえにこれらの事柄が今、私達の目の前で起こってもそれにまどわされたり振り回されたりしないで冷静に忍耐をもって受け止めるならば「最後まで耐え忍ぶ者」として「救い」が約束されています。 /n終末  終末は時間の世界(歴史)の終わる時です。それは神様のご計画の中で定められた「時」(神の御子イエス・キリストが永遠の世界から時間の世界に入られたように)です。終末に伴うさまざまな苦難は「産みの苦しみの始まり」(8節)といわれていますが、産婦が子供をこの世に送り出す時に陣痛なくしては子供の誕生という喜びにあずかることが出来ないように、この世界の終りの時(それは新しい神の国が開かれる時)に、世界は激しい痛みに襲われるのです。その時に備えて私達は今、信仰を強化しなければなりません。神様の憐れみをいただきながら、どんなことにも耐え忍ぶ力をいただき、愛の二重の戒め「主なる神を愛する」「自分を愛するように隣人を愛する」を大切に歩む者とされたいと願うものです。