「高価な香油」 牧師 佐藤 義子

/n[マタイによる福音書] 26章1-13節 1 イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。 2 「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために引き渡される。」 3 そのころ、祭司長たちや民の長老たちは、カイアファという大祭司の屋敷に集まり、 4 計略を用いてイエスを捕らえ、殺そうと相談した。 5 しかし彼らは、「民衆の中に騒ぎが起こるといけないから、祭りの間はやめておこう」と言っていた。 6 さて、イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家におられたとき、 7 一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、食事の席に着いておられるイエスの頭に香油を注ぎかけた。 8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。 9 高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。」 10 イエスはこれを知って言われた。「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。 11 貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。 12 この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。 13 はっきり言っておく。世界中どこでも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のしたことも記念として語り伝えられるだろう。」 /nはじめに  26章の1節から5節には、イエス様ご自身による十字架への予告と、祭司長達の殺害計画が並行して語られます。祭司長達は、祭りの期間中にイエス様を捕えれば、人口の膨れ上がったエルサレムで暴動が起きると予想し、この時期を避けようと相談します。彼らの罪ある計画は、いろいろな人間の思いが交錯しながらの計画ですが、それらは、神様のご計画の中に飲み込まれていくのを、私達はこれから見ていくことになります。 /n女性の行為  6節からは場面が変わり、イエス様がベタニア村のシモンの家に行かれた時のことが描かれます。一人の女性が極めて高価な香油の入った石膏(せっこう)のつぼをもって近寄り、食事の席についておられたイエス様の頭に香油をそそぎました。部屋中一杯に良い香りが拡がったことでしょう。これは油としても香水としても、又遺体に塗るのにも用いられたインド産のナルドの香油といわれ、約1年分の年収に匹敵するほどのものでした。この女性が、突然そのような行動に出た動機については何も書いてありません。おそらくこの女性はイエス様をとても尊敬し、慕い、イエス様を自分の出来る最上のおもてなしをもって迎えたいという一筋の思いから出た行為であったと思われます。 /n弟子達の反応  ところが弟子達は、女性の行為を喜ぶのではなく、憤慨(ふんがい)したのです。「なぜ、こんな無駄遣いをするのか。高く売って、貧しい人々に施すことができたのに」。年収に匹敵するような高価な香油を、たった一人の人間に使うより、それを売ってたくさんの貧しい人々を助けた方が良いという弟子達の意見は正論に聞こえます。弟子達は貧しさに耐え、倹約を重ねながらイエス様に従って生きてきたことでしょう。貧しさを知る者は高価なものを粗末にしたり無駄遣いに対して嫌悪感さえ覚えるものです。弟子達は女性が情に流されて、前後をかえりみずに取った行動だと判断しました。 /n「わたしに良いことをしてくれた」(10節)  以前「ぶどう園の労働者のたとえ」を学んだ時、たとえの中で主人は最後に「自分のものを自分のしたいようにしてはいけないか。それともわたしの気前のよさをねたむのか」と言いましたが、この女性が香油をイエス様にささげたいと願ったその思いは、誰にも止める権利がないことは明らかです。そのことを弟子達は忘れ、あたかも香油の一部が自分の物であるかのように正論をつきつけました。気持のどこかでこの女性のイエス様に対する愛の豊かさに嫉妬していたかもしれません。弟子達の批判・非難は女性の心を傷つけ、苦痛を与えたことでしょう。イエス様は弟子達をたしなめて「なぜ、この人を困らせるのか。私に良いことをしてくれたのだ。」(「なぜ、この婦人を苦しめるのか。この婦人は私に美しいことをしてくれたのだ。」別訳)と、言われました。 /n「葬る準備をしてくれた」(12節)  イエス様みずからが女性の行為について、その意味を明らかにされました。「この人は、私を葬る準備をしてくれた。」と言われたのです。当時ユダヤ人は遺体に香油を塗り腐敗臭をおおい)ました。イエス様は十字架から引き下ろされた時、安息日が迫っていた為、香料を添えて亜麻布に包んだだけで墓に納められました(ヨハネ福音書)。安息日明けに、遺体に塗ろうと婦人達が香料と香油を準備していました(ルカ福音書)が、安息日が明けた時には墓は空で、香油がイエス様の遺体に塗られることはありませんでした。この女性は、今、この時、まもなく死に赴かれるイエス様に対して香油を注ぎ、それが葬りの準備とされたのです。 /n「記念として語り伝えられるだろう」(13節)  イエス様の十字架の死は全ての人の救いの為でした。その死を間近にした時、一人の婦人の愛の行為は記念碑となり二千年後の今も語り続けられています。 「(主よ、あなたの)驚くべき知識はわたしを超えあまりにも高くて到達できない。」(詩篇139:6)と、私達は告白します。私達が間違わないで日々歩むためには、イエス様の教えが不可欠です。今週も神様を仰ぎ見つつ、聖霊の導きを信じて歩みたいと願うものです。

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