「ペテロのつまずき」 牧師 佐藤 義子

/n[マタイによる福音書] 26章31-35節 31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散ってしまう』/と書いてあるからだ。 32 しかし、わたしは復活した後、あなたがたより先にガリラヤへ行く。」 33 するとペトロが、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、わたしは決してつまずきません」と言った。 34 イエスは言われた。「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度わたしのことを知らないと言うだろう。」 35 ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。 /n[マタイによる福音書] 26章69-75節 69 ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」と言った。 70 ペトロは皆の前でそれを打ち消して、「何のことを言っているのか、わたしには分からない」と言った。 71 ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、「この人はナザレのイエスと一緒にいました」と言った。 72 そこで、ペトロは再び、「そんな人は知らない」と誓って打ち消した。 73 しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」 74 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、「そんな人は知らない」と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。 75 ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。 /nはじめに  イエス様は過越の食事を弟子達となさった後、祈る為にオリーブ山に向かわれました。その時イエス様は弟子達に大変深刻な言葉を口にされました。それは「今夜、あなたがたは皆わたしにつまずく」(31節)という言葉でした。たった今、食事の席で、弟子の中から裏切り者が出たと言われ、弟子達は代わる代わる「主よ、まさか私のことでは」と不安にかられて聞いたばかりの、その食事の後の出来事です。今度は「今夜、皆」つまり「弟子全員」がこの後まもなくイエス様につまずくと予告されたのです。 /nつまずく  イエス様につまずくとは、イエス様を信じてこれ迄自分の生涯を託して従ってきた弟子達が、ある障害物(出来事)によってその生き方を中断、もしくはやめる、ということです。イエス様はその根拠として『私は羊飼いを打つ。すると羊の群れは散ってしまう。』(31節)との旧約聖書ゼカリヤ書(13:7)の預言の言葉をあげられました。(注:新共同訳では少し違う訳)。ここでいう「私」とは「父なる神」、「羊飼い」は「イエス・キリスト」、「羊の群れ」は「キリストを信じる弟子集団」を意味します。「羊飼いを打つ」は、イエス様の十字架を意味します。イエス様がこれから進んでいかれる十字架への道に、弟子達は従い続けることが出来ないとの予告です。弟子の中でもリーダー格であったペテロはすかさず応答しました、「たとえ、みんながあなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と。 /nペテロ  ペテロは聖書に度々登場し、その言動を見る限り正直であり、情熱家であり、失敗もありますがイエス様を愛し慕っている弟子です。以前イエス様から弟子達に向けられた質問「あなたがたは私を何者だというのか」に対して、ペテロはすぐ「あなたはメシア、生ける神の子です」と答え、イエス様からその信仰を大変喜ばれました。しかしその直後、イエス様がご自分の受難と死と復活の話をされた時、「主よ、とんでもない。そんなことがあってはなりません」と、この世的な発想でイエス様の言葉を否定して、イエス様から「サタンよ、引き下がれ」と叱られた弟子です。ペテロは今、イエス様から「あなた方は皆」と、自分も十把ひとからげのように言われたことに対して、そのようにイエス様から思われていることがなさけなく、心外でもあり、不満、不服でした。 /n「たとえ、みんながあなたにつまずいても」  「私は決してつまずきません!」と叫んだペテロにイエス様は「あなたは今夜、にわとりが鳴く前に三度私のことを知らないと言うだろう」と予告されたのです。ペテロは「ご一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と、答えました。 /nペテロの否認(26:69-75)  しかしこの後ペテロは、イエス様が捕縛され、その裁判を待つ大祭司の家の中庭に於いて、「あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた」。「この人は、ナザレのイエスと一緒にいました」。「確かにお前もあの連中の仲間だ。言葉使いでそれがわかる」との敵意とあざけりを含んだ言葉の前で、「何のことをいっているのか私にはわからない」「そんな人は知らない」とイエス様を否認しました。三度目の否認直後、鶏が鳴きました。 /n御言葉に戻って・・。  鶏の声を聞いたペテロは我に返りイエス様の「否認の予告」を思い出し外に出て激しく泣きました。あの時イエス様の言葉を正しく聞くことができなかった・・それは自分の思いが優先したからです。自分の考え、自分の感情、自分の正義感、自分の確信がイエス様の前で自分を白紙にして立つことが出来ず、聞く耳もなかった。だから肉の決心は巧妙な悪魔のわなにかかり、もろくも崩れたのです。イエス様は自分以上に自分のことを知っておられ、自分のつまずきを知りつつも「復活後、あなた方より先にガリラヤに行く」との約束の言葉を残されていかれたのです。ペテロの悔い改めの涙は、イエス様の十字架の死(罪の赦し)と復活(罪への勝利)の約束の成就、さらには約束の聖霊がくだった出来事を通して、ペテロを否認による挫折から立ち上がらせ、大伝道者へと変えていくことになります。