「シメオンの賛歌」 伝道師 平賀真理子

/n[イザヤ書] 52章7-10節 7 いかに美しいことか/山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え/救いを告げ/あなたの神は王となられた、と/シオンに向かって呼ばわる。 8 その声に、あなたの見張りは声をあげ/皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る/主がシオンに帰られるのを。 9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。 10 主は聖なる御腕の力を/国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が/わたしたちの神の救いを仰ぐ。 /n[ルカによる福音書] 2章25-35節 25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26 そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。 29 「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。 30 わたしはこの目であなたの救いを見たからです。 31 これは万民のために整えてくださった救いで、 32 異邦人を照らす啓示の光、/あなたの民イスラエルの誉れです。」 33 父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」 /nはじめに  先週は多くの方々と共にクリスマス礼拝を献げられて感謝でした。日本では、クリスマスの後はすぐお正月が控えていて「25日過ぎれば、クリスマスは終わり!」という雰囲気になっています。しかし教会暦では一般的に12月25日から1月6日の前日までが降誕節です。1月6日は「公現日」(顕現日)といって、異邦人(東方の博士が星に導かれてキリストを礼拝しに来た)にイエス・キリストの栄光が公に現わされたことを記念する日です。 /nシメオンの賛歌  今日の聖書の29節から32節までは「シメオンの賛歌」と言われています。神様の約束通りイスラエル民族から救い主がお生まれになり、異邦人にまでも神様の真理が明らかになって広まっていくことへの喜びが歌われます。待降節では「ザカリアの預言(賛歌)」、「マリアの賛歌」を学び、本日「シメオンの賛歌」を学びますが、この3つの賛歌は旧約聖書の預言者がずっと預言していた通り、救い主をこの世に送って下さった神様への感謝と喜びと希望を歌ったものとして知られています。主の救いのご計画が実際に果たされたことへの感謝と喜びの中で本当の平安が与えられ(縦のつながりの回復)、それが又、異民族へも広がっていくのだという確信に満ちた希望まで与えられる(横への広がり)。御子のご降誕と、その歩みによって、です。これこそが、神様がこの世の私達人間、悪い思いに捕われがちな人間をも愛して下さっているという福音、喜びの知らせです。この安堵感(安心感)で一日を締めくくり(カトリック教会では、一日の終りにシメオンの賛歌を歌う)、広がる希望を胸に眠りの床に就けることができるのは、深い意味で幸せなことです。更に進んで、シメオンが歌ったように人生の終わりに救いを確信して主の平安を与えられることは本当に幸いなことです。(29節)。 /n主の平安  最近、「主の平安」を経験しました。今祈祷会では「ヘブライ人への手紙」を学んでいます。2章10節から18節に、「イエス様が血と肉を備えられたのは(この世に人間としてお生まれになったのは)、イエス様が死を司(つかさど)る者(悪魔)を御自分の死によって滅ぼし、死の恐怖の為に一生涯、奴隷の状態にあった者達を解放なさる為でした。」とありますが、とても納得できた経験をしました。頭(理論)では知っていましたが、「腑に落ちた」という感じでした。忙しさと軽薄さの中で日々を過ごす内に、自分が死ぬ身であることも忘れかけ、かつて教会に通う前には悩みの淵にいて自分が神様とつながることが出来るなどとは思いもよらなかったことを思い出しました。そのまま死を迎えていたら、神様と断絶したまま暗い淵に沈んでいたのだろうなあと気がつきぞっとしました。今は、イエス様の十字架上の死によって私の罪による神様との断絶は贖(あがな)っていただけて、神様と(接ぎ木ながら)つながりを回復していただき(イエス様を仲保者としてですが)、その救いを確信して死ねるのだなあ!ほんとに安心なんだなあ!と実感できたのでした。 /n逆転(異邦人を照らす啓示の光:32節)  シメオンは幼子イエスを腕に抱けて喜びや安心感はひとしおだったでしょう。このイエス様こそ、神様が準備された全民族の救いであり、その救いが異邦人に迄広がり、神様のご計画が明らかになれば、神様の御子を授かった選民イスラエルはそのことを誉れにすることが出来るという喜びの歌です。啓示とは、覆われている神の真理が、覆いがとれて明らかになるという意味の言葉です。イスラエルの人々にとって異邦人とは、神の律法を知らない民族、又、侵略する・されるという争いの生じる近場の異民族のことが脳裏に浮かんだと思われます。自分達は抑圧されてきたという敵対心も込められているかもしれません。しかし神様にほど遠いとみていた異邦人でさえ、神の真理を知り得るということ、その異邦人が御子とその母体のイスラエル民族を尊敬するようになるということ、このような逆転が神様の救いの時には起こります。これはマリアの賛歌やイエス様の山上の説教にもあらわれる神の救済の業の素晴らしさです。人智の及ばない神様の素晴らしい知恵と力と業です。(後略)

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