「使徒の選出」 佐藤義子 牧師

/n[詩篇] 1章1-6節 1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず 2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。 3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。 4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。 5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。 6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。 /n[使徒言行録] 1章12-26節 12 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。 13 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。 14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。 15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。 16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。 17 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。 18 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。 19 このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。 20 詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』/また、/『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』 21-22そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」 22 [前節に合節] 23 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、 24 次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。 25 ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」 26 二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。 /nはじめに  今朝の箇所は、オリブ山でイエス様を天に見送った弟子達がエルサレムの町に戻ってからの話です。イエス様が弟子達に語ったのは、「エルサレムを離れてはいけない。約束の聖霊を待ちなさい。」ということでした。弟子達にとって、とどまることと待つことは決して易しいことではありませんでした。というのは、復活されたイエス様を天に送り、これからの自分達の歩みがまだ見えていない状態です。社会的にはユダヤ当局者達に憎まれ殺されたイエスという人の弟子です。ユダヤ社会の中にあって、ユダヤ教徒達から歓迎されない存在でありました。 /n教会の原型  弟子達がまず第一にしたことは、エルサレムの宿泊していた家の二階に集まって心を合わせて熱心に祈ったことでした。誰もエルサレムから離れず、弟子になる以前の生活(職業)に戻ることもしませんでした。イエス様の言葉に従ったのです。13節には二階での祈りを共にした人達の名前があります。使徒言行録の著者は教会の始まりを丁寧に伝えることを使命としたのでしょう。ユダを除く11人の弟子達の名前があり、婦人達(ルカ福音書にはマグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリアなど。その他、たとえば11人の弟子の妻達も加わっていたとも考えられます)、そしてイエス様の母「マリア」、続いて「イエスの兄弟達」と記されます。聖書では肉親の「兄弟」と信仰上の「兄弟」と二通りの使い方をしていますが、ここではイエス様の肉親です。(福音書によれば、イエス様にはヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという4人の弟と、姉妹が2人以上いました)。しかし生前、イエス様の兄弟はイエス様を信じていなかったという記述があり、又、悪いうわさを耳にして身内の者がイエス様を取り押さえにきたともありますので、その彼らがこの祈りに加えられていたとは彼らが変えられたということであり、素晴らしいことです。これらの人達が「心を合わせて熱心に祈っていた」(14節)のです。この姿こそ教会の原型といえるでしょう。 /n心を合わせて熱心に祈る  熱心に、とは心を集中して、心を注ぎ出して祈ることです。何を祈ったのでしょうか。イエス様が教えてくださった主の祈り、信仰が守られるように、信仰を伝えられるように、そして約束の聖霊が与えられるまで自分達が忍耐深く待ち続けられるように、日々の悔い改め、そして地の果てに至るまでキリストの証人となると言われたゆえに、キリストの復活の証人として、宣教に必要とされる賜物が与えられるように、と祈ったことでしょう。祈りとは自分を見つめることを離れて、自分を超えた全知全能のお方に目を向けることです。どのように祈ったらよいかわからない時は、声を出して詩篇を読まれるのも一つの方法です。特に詩篇23編は昔から多くの信仰者を励ましています。 /n使徒の選出  次に聖書が伝えるのは、120人ほどの人達が集まっている中での、ペテロの発言です。この群は生前のイエス様に出会い、信仰を与えられた人達の群です。彼らに向かってペテロは、イエス様の直弟子として12人が選ばれたが仲間の一人・ユダは不本意な死に方で死んでしまった。それゆえ、ユダの代わりに使徒を一人補充すべきである、と語りました。イエス様が選ばれた「12」という数を、必要な大切な数と考えたのです。  まず使徒の条件が出されました。「イエス様の生存中、さらに復活・昇天にも共にいた者」という条件です。イエス様の言動をつぶさに見てきた使徒が、神の恵み、神の国について明らかにされた内容を、これから大胆に伝えていくのです。二人の候補者があげられました。一人でなく二人の候補者をたてたのは、人間の熟慮と決断だけではなく直接に神様の導きが働く余地を残すとの考えからです。そして彼らは祈りました。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人の内のどちらをお選びになったかを、お示しください。・・」  使徒の仕事は、その人の内側の心にかかっています。内側を見ることのできるお方は神のみです。弟子達はどちらを神様が使徒として召されるのかを問う為に、当時の方法であった「くじ」がひかれ(箴言16:33)、くじはマティアにあたりました。こうして、離れてしまったユダの使徒としての任務はマティアに引き継がれることになりました。