「聖霊降臨」 佐藤義子牧師

/n[詩篇] 62:8-9 8 わたしの救いと栄えは神にかかっている。力と頼み、避けどころとする岩は神のもとにある。 9 民よ、どのような時にも神に信頼し/御前に心を注ぎ出せ。神はわたしたちの避けどころ。〔セラ /n[使徒言行録] 2:1-13 1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。 3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 4 すると、一同は聖霊に満たされ、““霊””が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。 5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、 6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。 7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。 8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。 9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、 10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、 11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」 12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。 13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。 /nはじめに  本日の聖書は「<span style="color:#0099FF;"><span style="font-weight:bold;">あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。</span></span>」(1:8)との約束の成就の始まりです。イエス様の昇天後、11人の弟子・婦人達・母マリア・イエス様の兄弟達は心を合わせて熱心に祈り、欠けてしまったユダの使徒としての任務を継がせる為に、信仰者の群からマティアを選び、約束の聖霊が与えられるのをひたすら待ちました。 /n五旬祭(ギリシャ語でペンテコステ・50番目の日)  やがて五旬祭(ユダヤ教の三大祭りの一つで、他に、過越の祭り、仮庵の祭りがある)がやってきました。五旬祭は七週の祭り(古くは「刈り入れの祭り」)と呼ばれ、過越の祭りの時期に大麦に鎌を入れ始める時から7週間を数えた翌日の50日目に、土地を与え食物を豊かに実らせて下さる神様に初物を捧げて感謝し、喜び楽しむお祝いの日です(レビ記23章参照)。やがてこの祭りは、シナイ山でモーセを通して律法が与えられたこととも結びついて祝われるようになりました。この日の朝、弟子達はこのユダヤ人の伝統的行事を祝うためでしょう、「一つになって集まって」(1節)いました。 /n聖霊降臨  突然大きな音が聞こえました。それは激しい風が吹いてくるような音(暴風が吹き荒れるような音?)でした。それは天から聞こえ(2節)、彼らが座っていた家中に響き渡るような大きな音でした。そして炎のような舌が現れて、一人一人の上にとどまりました。五旬祭の出来事の奇跡は、まず耳から、そして目に見える事柄で始まりました。しかしこの大きな音も炎のような舌も、「ただのしるし」です。この出来事の本当の奇跡は、「神様がかかわられた」ことです。神様がかかわられるしるしの特性は「突然」であり、その働きは「天から」です。ヘブル語では「風」も「霊」も「息」も同じ言葉です。「激しい風が吹いてくるような音」は神様の霊の到来を告げ、「家中に響き渡った」とは、全世界が神様の言葉の伝道で満たされることを伝えているともいわれます。「炎のような」とは、火は神様の霊の一つの現れであり、その舌が、弟子の一人一人に触れたことによって、弟子達は聖霊に満たされました。 /n集まってきた人々  「<span style="color:#0099FF;"><span style="font-weight:bold;">エルサレムには天下のあらゆる国から帰ってきた、信心深いユダヤ人が住んでいた</span></span>」(2:5)。彼らは純粋なユダヤ人であり、かつて世界各地に散って住んでいた人達です。外国で生まれ育ち、長いこと外国暮らしをしてきたけれども今や両親の祖国へ戻り、ここに住んでいる人達です。「信心深い」とは、親達からいつも神様の救いの業を聞かされ、律法や預言書を通して養われた信仰、救い主を待ち望む人々だったのでしょう。この人達がペンテコステの奇跡の場に居合わせた人々でありました。 /n“霊”が語らせるままに・・  聖霊に満たされた弟子達は、霊が主体となって外国語で語り始めます。大きな音に驚いて集まった人々は、今度は弟子達が語る外国語の説教に驚かされました。それは、自分達が生まれ育った国のなつかしい言語でした。その内容は、「神の偉大な業」(11節)すなわち、イエス・キリストの洗礼から、十字架の死と復活、そして昇天に至るキリストの出来事です。この神様の大いなる救いのわざを、霊が弟子達に語らせました。 /n相反する反応  説教を聞いたある人々は、理解に困難な状況を前に呆然としながらも、その意味を問おうとし、自分達の知らない未知の、しかも重大な何かが起こるような予感を感じた人々です。不思議なことを「不思議」と受け止める人々です。他方、「あの人達は新しい酒に酔っている」とあざける人々がいました(13節)。彼らは人間の理性を過信し、その理性の為に方向をあやまる愚かな人達といえるでしょう。こうして約束された聖霊は、遂に天からくだり、弟子達に与えられ、約束は成就しました。今も聖霊は働き続け、信じて求める者に与えられています。(参照聖書箇所:ヨハネの手紙4:13、ロマ書5:3-5、ロマ書8:9、11、コリント書12:1-11)。