「ペトロの説教」 佐藤義子 牧師

/n[イザヤ書] 44章21-23節 21 思い起こせ、ヤコブよ/イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。 22 わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。 23 天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い/イスラエルによって輝きを現された。 /n[使徒言行録] 3章11-26節 11 さて、その男がペトロとヨハネに付きまとっていると、民衆は皆非常に驚いて、「ソロモンの回廊」と呼ばれる所にいる彼らの方へ、一斉に集まって来た。 12 これを見たペトロは、民衆に言った。「イスラエルの人たち、なぜこのことに驚くのですか。また、わたしたちがまるで自分の力や信心によって、この人を歩かせたかのように、なぜ、わたしたちを見つめるのですか。 13 アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。 14 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。 15 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。 16 あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。 17 ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。 18 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、このようにして実現なさったのです。 19 だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。 20 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、主はあなたがたのために前もって決めておられた、メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。 21 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。 22 モーセは言いました。『あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることには、何でも聞き従え。 23 この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。』 24 預言者は皆、サムエルをはじめその後に預言した者も、今の時について告げています。 25 あなたがたは預言者の子孫であり、神があなたがたの先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われました。 26 それで、神は御自分の僕を立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。」 /nはじめに  本日は、しゅろの日曜日(パームサンデー)です。ヨハネ福音書12章にはイエス様がエルサレムに来られると聞いて、大勢の群衆がなつめやし(しゅろのこと・英語では、date-palm)の枝をもって迎えに出たことが記されています。しゅろの日曜日から始まる一週間を、受難週(Passion Week又はHoly Week)と呼んでいます。私共の伝道所では受難週の月曜日から金曜日まで毎日30分間を黙想会として持ちます。約2000年前のイエス様の最後の一週間の足跡をたどり、受難と死の意味(自分が罪赦された者とされ、あがなわれたこと)を黙想するひとときです。 /nペトロの説教  今日の聖書は、祈る為にエルサレム神殿の中に入ってきたペトロとヨハネにつきまとっている男が、エルサレム神殿の「美しい門」のそばで施しを乞うていた生まれつき足の不自由な男だと知って、人々が驚きをもってペトロとヨハネのもとに集まって来ました。そこでペトロは話し始めます。 ペトロは、まず彼らの誤解を解くことから始めました。民衆は、立つことも歩くことも出来なかった男が今、目の前に立って歩いているのはペトロとヨハネがいやしたからだと考え、こんな奇跡を行うペトロとヨハネに対して驚きのまなざしで見つめています。しかしそのように見る限りこの出来事を説明することはできません。ペトロはまず「これは私達の力や信仰によるのではなくイエス・キリストによるものである」と宣言しました。男を癒したのは「イエス・キリスト」であり弟子ではないのです。イエス・キリストは神から遣わされたお方です。奇跡は神のみが行う業であり、神の御名が崇められることに、奇跡の業の根拠と目的があります。歩けるようになった男は、神様がイエス・キリストの名によって、神のみ業をなされた、そのあかしでもあります。 /nイエス・キリストの現臨  このいやしは、イエス・キリストに対する信仰が呼び起したものです。弟子達の信仰はイエス・キリストの言葉と行為を通して植えつけられた信仰であり、今弟子達はその信仰によってイエス・キリストに呼びかけ、イエス・キリストからいやしを受け取ることによってイエス・キリストの栄光が現わされることに奉仕をしています。使徒言行録では「イエス・キリストの名によって」罪が赦され,救いが起こされ,悪霊が追放されます。「名による」とは、そこにイエス・キリストが現臨することです。 /n預言の実現  ペトロは民衆に、このいやしの奇跡を起こされたイエス・キリストを、あなたがたは殺してしまったが、それは無知のためだった。しかしイエス・キリストのご受難は、あらかじめ旧約聖書で予告されていた神様の救いのご計画の中にあったこと、イエス・キリストの死は結果としてイスラエルの不信仰と罪によって、神の救いのご計画を実現することになったことを語りました。それゆえにユダヤ人達は、「その罪を離れ、回心して、自分達が殺してしまったイエス・キリストを救い主メシアとして信じる」道が用意されているのです。 /n悔い改めは罪の赦しの第一歩  ペトロは、「だから、自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」(19節)と迫りました。ユダヤ人のみならず全ての人は、悔い改めて神のもとに立ち帰るならば、神の赦しを受け取ることができ、その罪から解放されるのです。第二に終末と再臨の約束が語られます。ペトロはこの時を「主のもとから慰めの時が訪れる」と表現します。今、私達にはさまざまな苦痛があり、悲しみがあります。しかしその時には、神様の栄光が現れ、歴史の苦痛に満ちた歩みは、終りを告げます。 この時を迎えるために私達がなすべきことは、旧約聖書の言葉に従うことであり(22節以下)、それはイエス・キリストに聞き従うことです。