「聖霊による一致」 平賀真理子 伝道師

/n[イザヤ書] 32章15-20節 15 ついに、我々の上に/霊が高い天から注がれる。荒れ野は園となり/園は森と見なされる。 16 そのとき、荒れ野に公平が宿り/園に正義が住まう。 17 正義が造り出すものは平和であり/正義が生み出すものは/とこしえに安らかな信頼である。 18 わが民は平和の住みか、安らかな宿/憂いなき休息の場所に住まう。 19 しかし、森には雹が降る。町は大いに辱められる。 20 すべての水のほとりに種を蒔き/牛やろばを自由に放つあなたたちは/なんと幸いなことか。 /n[エフェソの信徒への手紙] 4章1-16節 1 そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、 2 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、 3 平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。 4 体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。 5 主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、 6 すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。 7 しかし、わたしたち一人一人に、キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。 8 そこで、/「高い所に昇るとき、捕らわれ人を連れて行き、/人々に賜物を分け与えられた」と言われています。 9 「昇った」というのですから、低い所、地上に降りておられたのではないでしょうか。 10 この降りて来られた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。 11 そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。 12 こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、 13 ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。 14 こうして、わたしたちは、もはや未熟な者ではなくなり、人々を誤りに導こうとする悪賢い人間の、風のように変わりやすい教えに、もてあそばれたり、引き回されたりすることなく、 15 むしろ、愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭であるキリストに向かって成長していきます。 16 キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによってしっかり組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体を成長させ、自ら愛によって造り上げられてゆくのです。 /nはじめに  本日は「ペンテコステ」といって、主イエスに従う群れが聖霊を受けて、「教会」が生まれたとされる喜ばしい日です。「ペンテコステ」の出来事は、使徒言行録2章の初めに「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。」と証しされています。 聖霊の働きによって教会が成立し、更に福音の世界宣教の第一歩が早くも踏み出されていることがわかります。 /n聖霊とは  聖霊とは何でしょうか? 父なる神様はこの世を創造され、人間を愛されて、歴史の中で人間を救おうとされています。イエス様はこの世に人間として降り、人間の罪を贖うため苦難の道を歩まれましたが、最後に死に勝利し、救いの業を完成し、父なる神様の右に挙げられました。聖霊とは、イエス様が父なる神に願い出て、信徒達と永遠に一緒にいるようにしてくださる方で、「弁護者」とも「真理の霊」とも言われる方です。イエス様の死後はこの聖霊が信徒にすべてのことを教え、イエス様が話されたことをことごとく思い起こさせて下さるのです。イエス様のことをメシア(救い主)として証しなさる方であり、罪や義や裁きなど世の誤りについて明らかにされる方です。 /n信じる者の群は一つになれる  今日の聖書には、イエス様を主と信じるという縦軸を土台として、信じる者の群れは一つになれることが勧告として載っています。3節の「霊による一致」の霊は聖霊のことです。へりくだった心と神様の無償の愛で忍耐し合い、平和のきずなで結ばれ、聖霊による一致が勧められています。「体は一つ、霊は一つ」(4節)の体とは、キリストの体と言われる教会のこと、「主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ」(5節)もイエス様を信じ、そのことを公にし、洗礼を授けられた者への勧告であり、信仰告白です。聖霊は、人々を父なる神様とイエス様へ向かわせながら「教会」を作り上げ一つにしようと働きます。逆に悪霊は、分断するように働きます。 /n礼拝における一致  「聖霊によって一致する」為に信仰共同体としてまず考えられることは、「礼拝における一致を目指す」ことです。ペトロは人々に「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」(使徒言行録2:38-)と語り、信者達の生活が毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り聖餐し讃美していた、と証しされています(同43-)。悔い改めて信仰を公にした者達が礼拝で聖霊の降ることを待ち望む。私達も同じです。 /n聖霊の体験  私は信仰生活初めの頃「今日はこの主の御言葉を聞く為に呼ばれたのだ!」と感動しました。又、説教以外でも礼拝中にふわっと包まれるような感覚の中で「あなたの罪は赦された」というメッセージを心で受け取った記憶があります。まさしく「罪の赦し」を体感しました。イエス様が生きて働かれる礼拝の場で、聖霊を毎回体感することを切望します。 /n私達の姿勢  ただその前に、私達の献げる礼拝が、主に喜ばれるものとしてキリストを頭(かしら)とした、キリストの体を造るべく行われているのか、神様の御声に聞き従っていく姿勢が必要です。私達の礼拝が聖霊による一致を与えられ、キリストの体をより一層しっかり建てていけるように神様の恵みをひたすら願って生きたいと思います。 礼拝において神様が、初代教会のように、いつその存在を、私達一人一人に、又は、この教会全体にお示しになるかわかりません。礼拝に遅れたり、サボったりしている場合ではありません!目をさまして、一つになって、希望を持ちつつ、その時を待ち望んでまいりましょう。