「十字架の始まり」 平賀真理子 伝道師

/n[イザヤ書] 53章4-6節 4 彼が担ったのはわたしたちの病/彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに/わたしたちは思っていた/神の手にかかり、打たれたから/彼は苦しんでいるのだ、と。 5 彼が刺し貫かれたのは/わたしたちの背きのためであり/彼が打ち砕かれたのは/わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって/わたしたちに平和が与えられ/彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。 6 わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた。 /n[マルコによる福音書] 3章1-6節 1 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。 2 人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。 3 イエスは手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」と言われた。 4 そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。 5 そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。 6 ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 /nはじめに  今日の聖書は、イエス様に対する反対勢力がその反感をますます高めて、いよいよ大きな決断をするところです。イエス様が会堂に入られると、そこに片手の不自由な人がおりました。イエス様を陥れようとするファリサイ派の人々は、イエス様が安息日にこの人をいやされるかどうかを注目していました。もしもいやされたら、「安息日の治療行為は労働に値する」との律法違反として訴える口実になります。彼らの意図を十分ご存じの上で、イエス様は彼を憐れまれました。「真ん中に立ちなさい」。原語では「立ち上がって真ん中へ(来なさい)」です。この言葉は「救いのない『悪』の世界に留まらず、そこから立ち上がって、神様がお創りになった世界の真ん中にいる、本当に救うことの出来る『私』の前に来なさい。」との招きの言葉として聴くことが出来ます。 /nイエス様の招き  この招きは私達にも向けられています。「罪の世界から 抜け出て立ち上がり、救い主イエス様の前に進み出る」その決意と実行を主は求めておられます。この世は罪に覆われ、罪は神様からそれ、的はずれの生き方になります。「罪の世界」は神様との関係が壊れている為、最終的には人間関係を破滅させ、人は孤独の淵に追い込まれ、死に向かいたくなるのです。「罪の世界から立ち上がって、あなたを救おうとする救い主の前に来なさい」。求められているのはそれだけです。手の不自由な人にイエス様がかけた御言葉「立ち上がって、真ん中へ」。それは救いの恵みを与えようとされる神様からの愛のメッセージです。 /n「安息日」の本来の意味  「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」イエス様は人々にこう問われました。「安息日には『善』が行われ、『命』は救われるべきもの」という答えは明白でしたが、そのことを公けに言い表す勇気・素直さを持つ人は、一人もいませんでした。イエス様は怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみました。ファリサイ派の「自分達の考えに捕われる自己中心性」・「闇の中で画策する不正」、人々の「神様の本性である『善』や『命』や『正義』を知りながら、公然と言い表せない臆病さ、沈黙で逃げるずる賢さ」・・。これらはすべて神様側と全く逆の「悪魔の特性」です。イエス様を信じる私達は、「神様の御心を尋ね、御言葉に従う意志を持ち、信仰を公然と告白し、恵みとして与えられる神様の愛を感謝し、救いの御業を賛美し、何が神様に喜ばれることなのか、祈り求める」。そのような特性を持つ神様側に入れていただいています。一方的に与えられた恵みを心から感謝したいと思います。 /n神の御子イエス・キリストの十字架  イエス様は、イザヤ書に預言されたご自身の苦難と死を事前に知りながら、この地上では父なる神様の救いの業を成し遂げる為に御心に適うようにと働かれました。しかし人々はイエス様の示される「神様へ、その生き方の方向を改める-悔い改め」をしませんでした。イザヤ書の通り「道を誤り、それぞれの方角へ向かって行った」(53:6)のでした。この罪の特性は、神様を信じきれない不信仰、自分中心に流されて生きてしまう弱さ・醜さ、御子を十字架につける大罪へと又もや自分をおとしめていくことになります。しかし恵みと愛に満ちた神様は、私達のぬぐい難い罪を、イエス様の十字架の尊い犠牲によって救って下さいました。 /n十字架への道  今日の聖書は「神様の御心を求めず自分達の価値観を第一に考えてしまう自分勝手さ」、「イエス様を遣わされた神様を信じきれない、かたくなな不信仰」など、主の十字架への道の背景や状況が記されていました。しかし同時に「真ん中に立ちなさい」と、苦難も救いの栄光に変えて下さる全能の神様の招きの言葉をききます。その招きに感謝し、罪の世界から立ち上がり、主の御前に出て神様側の世界の真ん中へ入れていただきましょう!そして神様への信仰を告白し信仰の喜びを宣べ伝える者へと変えていただけるように聖霊の助けを祈り続けていきましょう。