「世界伝道の始まり」 佐藤義子 牧師

/n[詩編] 40編9-12節 9 大いなる集会で正しく良い知らせを伝え/決して唇を閉じません。主よ、あなたはそれをご存じです。 10 恵みの御業を心に秘めておくことなく/大いなる集会であなたの真実と救いを語り/慈しみとまことを隠さずに語りました。 11 主よ、あなたも憐れみの心を閉ざすことなく/慈しみとまことによって/いつもわたしをお守りください。 12 悪はわたしにからみつき、数えきれません。わたしは自分の罪に捕えられ/何も見えなくなりました。その数は髪の毛よりも多く/わたしは心挫けています。 /n[使徒言行録] 8章4-25節 4 さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。 5 フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。 6 群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。 7 実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。 8 町の人々は大変喜んだ。 9 ところで、この町に以前からシモンという人がいて、魔術を使ってサマリアの人々を驚かせ、偉大な人物と自称していた。 10 それで、小さな者から大きな者に至るまで皆、「この人こそ偉大なものといわれる神の力だ」と言って注目していた。 11 人々が彼に注目したのは、長い間その魔術に心を奪われていたからである。 12 しかし、フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた。 13 シモン自身も信じて洗礼を受け、いつもフィリポにつき従い、すばらしいしるしと奇跡が行われるのを見て驚いていた。 14 エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の言葉を受け入れたと聞き、ペトロとヨハネをそこへ行かせた。 15 二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。 16 人々は主イエスの名によって洗礼を受けていただけで、聖霊はまだだれの上にも降っていなかったからである。 17 ペトロとヨハネが人々の上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。 18 シモンは、使徒たちが手を置くことで、““霊””が与えられるのを見、金を持って来て、 19 言った。「わたしが手を置けば、だれでも聖霊が受けられるように、わたしにもその力を授けてください。」 20 すると、ペトロは言った。「この金は、お前と一緒に滅びてしまうがよい。神の賜物を金で手に入れられると思っているからだ。 21 お前はこのことに何のかかわりもなければ、権利もない。お前の心が神の前に正しくないからだ。 22 この悪事を悔い改め、主に祈れ。そのような心の思いでも、赦していただけるかもしれないからだ。 23 お前は腹黒い者であり、悪の縄目に縛られていることが、わたしには分かっている。」 24 シモンは答えた。「おっしゃったことが何一つわたしの身に起こらないように、主に祈ってください。」 25 このように、ペトロとヨハネは、主の言葉を力強く証しして語った後、サマリアの多くの村で福音を告げ知らせて、エルサレムに帰って行った。 /nはじめに  今日の聖書には四つのことが記されています。一つは、迫害されてエルサレムから逃げたキリスト教徒達のこと。二つには、フィリポの伝道。三つには、ペテロとヨハネがサマリアに遣わされたこと、四つには、サマリアの町にいた魔術師シモンのことです。 以上から、イエス・キリストの福音が世界に広がっていった、その始まりを見ていきたいと思います。 /n第一のこと  ステファノの殉教後、教会に対して大迫害が起こり多くのクリスチャンが投獄されました。そのような状況下で、エルサレムから逃げていった人々が行く先々で伝道し、その結果、福音が広められていきました。ある聖書学者はこのことを「ヨセフの原則」という言葉を用いています。エジプトに奴隷として売られたヨセフが、最後にはエジプトの高官としてイスラエルの民を飢饉から救い、次のように兄達に語りました。「あなた方は私に悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです」(創世紀50:20)。これは「神様は万事を益として下さる」(ロマ書8:28)に共通する信仰です。 /n第二のこと  二つめには、フィリポが、当時ユダヤ人と交際の全くなかったサマリア人の住むサマリアの町に入ったことです。サマリア人は、ユダヤ人と同じようにアブラハムの子孫でありながら、他宗教と妥協し、又、雑婚によってその純粋性を失い、ユダヤ人から軽蔑されていて、当時、口も利かない間柄でした。それにもかかわらず、フィリポは、自分達ユダヤ人が殺したイエスはメシア(救い主)であると宣教しました。フィリポの語るイエス・キリストの教えや十字架の死と復活の出来事、そして神の国の到来や神様の支配が行われているという証しは、癒しや悪霊の追放という出来事と共に、多くの人々に受け入れられました。12節には、「フィリポが神の国とイエス・キリストの名について福音を告げ知らせるのを人々は信じ、男も女も洗礼を受けた」とあります。 /n第三のこと  エルサレムに残った使徒達は、サマリアの人々が福音を信じたことを聞いて、エルサレムからペトロとヨハネをサマリアに送りました。彼らは、サマリアの人々が洗礼を受けたものの、聖霊を与えられていないことを知り、信じた人々が聖霊を受けるように手を置いて祈りました。すると「彼らは聖霊を受けた」と聖書は伝えています。 /n第四のこと  洗礼を受けた中に魔術師シモンがおりました。ペトロとヨハネの按手によって聖霊が降るのを見たシモンは、「その力を下さい」とお金を差し出しました。シモンは、聖霊という神様からの賜物を、魔術の延長と考えて、人間の思い通りに使おうと考えたのです。彼の信仰と洗礼は本物でなかったことが明らかになりました。ペトロは彼に「この金は、お前と一緒に滅びてしまうが良い。」「お前には、まだ苦い胆汁があり、不義の縄目がからみついている」(口語訳)と厳しく叱責しました。「苦い胆汁」とは有毒な胆汁という意味で、毒を流す危険を持っているということです。「不義の縄目がからみつく」とは悪魔が人間を自分の勢力下に縛りつけておくことで、悪魔の道具になっているという意味です。 現代でも、占い、魔術、霊媒、迷信やたたりからのお祓い、お札やお守り等、多くの人間がそれに縛られています。しかしこれらは(シモンが退けられたように)私達の信仰とは決して共存し得ないものです。 /nおわりに  福音が全世界に宣べ伝えられることはイエス・キリストのご命令です。全ての人が神様を信じ、御子イエス・キリストを救い主と信じて、神様に栄光を帰することこそ、被造物である人間の「究極の生きる目的」です。私達はその為に命が与えられ、生かされています。神様がイエス様をこの世に送られたのは、この世を愛されたからであり、信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得る為です。すべての方がこの福音のもとに招かれ、この福音を伝える者として歩めますように祈るものです。