「追いかけて、行け」 佐藤義子 牧師

/n[イザヤ書] 53章7-8節 7 苦役を課せられて、かがみ込み/彼は口を開かなかった。屠り場に引かれる小羊のように/毛を切る者の前に物を言わない羊のように/彼は口を開かなかった。 8 捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか/わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり/命ある者の地から断たれたことを。 /n[使徒言行録] 8章26-40節 26 さて、主の天使はフィリポに、「ここをたって南に向かい、エルサレムからガザへ下る道に行け」と言った。そこは寂しい道である。 27 フィリポはすぐ出かけて行った。折から、エチオピアの女王カンダケの高官で、女王の全財産の管理をしていたエチオピア人の宦官が、エルサレムに礼拝に来て、 28 帰る途中であった。彼は、馬車に乗って預言者イザヤの書を朗読していた。 29 すると、““霊””がフィリポに、「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と言った。 30 フィリポが走り寄ると、預言者イザヤの書を朗読しているのが聞こえたので、「読んでいることがお分かりになりますか」と言った。 31 宦官は、「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」と言い、馬車に乗ってそばに座るようにフィリポに頼んだ。 32 彼が朗読していた聖書の個所はこれである。「彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、/口を開かない。 33 卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ。」 34 宦官はフィリポに言った。「どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか。」 35 そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた。 36 道を進んで行くうちに、彼らは水のある所に来た。宦官は言った。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」 37 フィリポが、「真心から信じておられるなら、差し支えありません」と言うと、宦官は、「イエス・キリストは神の子であると信じます」と答えた。 38 そして、車を止めさせた。フィリポと宦官は二人とも水の中に入って行き、フィリポは宦官に洗礼を授けた。 39 彼らが水の中から上がると、主の霊がフィリポを連れ去った。宦官はもはやフィリポの姿を見なかったが、喜びにあふれて旅を続けた。 40 フィリポはアゾトに姿を現した。そして、すべての町を巡りながら福音を告げ知らせ、カイサリアまで行った。 /nはじめに  今日の聖書は、初めてアフリカ人にキリスト教の信仰が与えられた時のことが記されています。私達はここから、一人の人が救われるプロセスと、またその為に用いられたフィリポの行動を、ご一緒に学びたいと思います。 /n御声によるフィリポと宦官との出会い  フィリポは、天使から「エルサレムからガザへ下る道に行け」と告げられます。すぐ出かけて行きますと、再び神様の霊が「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」と告げられます。この馬車に乗っていた人物とは、エチオピアの女王カンダケ(女王の称号)の高官で、財産管理をしていた宦官(女王に側近として仕える去勢された男性)でした。 /n宦官は熱心に求めていた  驚くべきことは、彼がエルサレムに礼拝に行った帰りであったことです。つまり彼は自分の国の宗教ではなく、天と地を創造した唯一の神様のこと、そしてモーセの十戒などの律法について触れ、信じる者とされていたのです。更に彼は、エチオピア(今のスーダン)から遠いエルサレムまで礼拝に行くほど熱心でした。ここに、救いに至る一つのプロセスを見ます。それは、どんな環境に生まれても真剣に熱心に宗教と向き合う時に、真実へと導かれるということです。宗教は人間の生きる意味・生き方・価値観・死の問題等に深く関わり、その人の人生を決定します。 宦官は礼拝からの帰途、イザヤ53章を朗読していましたが、理解出来ませんでした。そして彼はその意味を知りたいと願っていたところでした。 /nイザヤ53章  救いへの第二のプロセスは、神様は求める者に必要な助け手を送ってくださる、ということです。フィリポは神様の「あの馬車と一緒に行け」という声を聞きました。そして、乞われるまま、宦官にイザヤ書53章「苦難のしもべ」のメシア預言を解き明かしました。それはイエス・キリストのことを指しています。フィリポは宦官に、「十字架で殺された主イエスこそ神様から遣わされた神の子・メシアであり、十字架の死は私達人間が神に背いた罪の為であり、私達人間は、罪を悔い改めてイエス・キリストを信じることによって救われる」という福音を語りました。この福音は、全世界の教会で、今も毎週、語り伝えられています。 /n聞いて、信じる。そして・・  宦官は、フィリポを通して聞いたイエス・キリストを信じました。信仰の確信が与えられたのです。ここに第三のプロセスを見ます。 /n救いに至る最後のプロセス  宦官はフィリポに「ここに水があります。バプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」(36節)とバプテスマを志願しました。それに対する返答が(本文にはありませんが)使徒言行録の最後に(37節)記されています。「フィリポが、『真心から信じておられるなら、差し支えありません』と言うと、宦官は、『イエス・キリストは神の子であると信じます』と答えた」。ロマ書にはこのように記されています。「口でイエスは主であるとおおやけに言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われる。実に、人は心で信じて義とされ、口でおおやけに言い表して救われるのです」(10:9-10)。宦官は、イエス・キリストの知識はまだほんの少しだけでしたが、信じて告白し、バプテスマを受け、救われました。宦官は喜びにあふれて旅を続けた、とあります。この喜びこそ、まさに聖霊の働きです。 /n「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」(29節)  キリスト者の使命は、救われた喜びを伝えることです。「行け」との神様の言葉をキャッチし、いつでも御言葉に従う用意があることです。