「ここに愛がある」 佐藤義子 牧師

/n[ホセア書] 11章8-11節 8 ああ、エフライムよ/お前を見捨てることができようか。イスラエルよ/お前を引き渡すことができようか。アドマのようにお前を見捨て/ツェボイムのようにすることができようか。わたしは激しく心を動かされ/憐れみに胸を焼かれる。 9 わたしは、もはや怒りに燃えることなく/エフライムを再び滅ぼすことはしない。わたしは神であり、人間ではない。お前たちのうちにあって聖なる者。怒りをもって臨みはしない。 10 獅子のようにほえる主に彼らは従う。主がその声をあげるとき/その子らは海のかなたから恐れつつやって来る。 11彼らは恐れつつ飛んで来る。小鳥のようにエジプトから/鳩のようにアッシリアの地から。わたしは彼らをおのおのの家に住まわせると/主は言われる。 /n[ヨハネの手紙一] 4章7-21節 7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。 13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。 18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。 19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。 20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。 /nはじめに  クリスマスおめでとうございます。 ここにおられる全ての方にとって、イエス様が、この私の為に生れてきて下さったということが、事実として心に刻まれますよう祈りつつ、御言葉に耳を傾けたいと思います。創世記によれば、人間は神様に似せて造られました。私達の社会では、「あの人は神様みたいな人だ」という言葉が使われることがあります。その場合、親切で心が優しく、自分をかえりみず、人に対して尽くす人を言い表したりします。(たとえばマザーテレサのように)人々が、人間に対して「神様みたいな人」という言葉を言わしめる姿があるということは、「人は神に似せて造られている」ことの一つの証しといえましょう。 /n罪が入り込む   神様に似せて造られた人、アダムは、神様が人の為に用意された楽園で、何不自由なく過ごしておりました。しかしアダムの助け手として造られたエバが、蛇の誘惑に負け、神様の言葉に逆らったことから「罪」がこの世界に入り込みました。聖書でいう罪とは、神様に造られた人間が、創って下さった神様に従わないことです。自分の欲望を、神様の言葉より優先させるのは、自分を神様よりも上におく=自分を神様とする=罪です。 /n罪は裁かれる  人間社会において罪を犯す者は必ず法で裁かれるように、命の与え主である神様を無視して生きてきた人間に対し「罪」への裁きがあるのは当然でしょう。そして私達の「神様が命じられる事を行なってこなかった罪」が裁かれた時、すべての人は、自分の罪をつぐなうことはできません。なぜなら私達はあまりにも度々、神様を忘れ、又、神様を無視した生活を送ってきたからです。人間という人間は、皆、有罪判決を受け、その結果、私達人間は死を迎えるのです。(ロマ書6:23参照) /n救いへの道  しかし神様は、この罪ある人間を憐れみ、救いの道を用意して下さいました。人間を滅びの道から救い出す「救い主」を私達の住む世界に送って下さったのです。その救い主が、人間の全ての罪を引き受けて、本来人間が受けるべき罰を代わりに受けて下さいました。それが主イエスの十字架の死です。十字架は、神の独り子、主イエス・キリストの、全人類のこれまでに犯した罪、さらにこれから犯す罪も一切含めた「罪」が赦される為の、犠牲の死です。私達はその死によって罪が赦されて神様と再びつながることが出来るようになりました。 /n神様とつながる道  具体的に、どうしたら私達は神様とつながる道を生きていけるのでしょうか。それは、永遠の命をもってこの世に来て下さったイエス・キリストを信じて、イエス・キリストにつながることです。イエス様を信じ、永遠の命をいただいて生きるということは、この世界に罪が入り込み、神様に似せて造られた部分を失ってしまった人間が、その部分を回復する道へと戻されたことを意味します。コリントの手紙には、「つまりアダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになるのです。」(15:22)とあります。 /nここに愛があります  今朝の聖書にはこう記されています。「神は独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私達が生きるようになるためです。ここに神の愛が私達の内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。・・私達が愛するのは、神がまず私達を愛して下さったからです。」このクリスマスの喜びが、イエス様を信じて歩もうとされる全ての方に満たされますよう心から祈るものです。

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