「励ましに満ちた決定」 牧師 佐藤義子

/n[詩編] 119編65-66節 65 主よ、あなたの御言葉のとおり/あなたの僕に恵み深くお計らいください。 66 確かな判断力と知識をもつように/わたしを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じています。 /n[使徒言行録] 15章22-41節 22 そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。 23 使徒たちは、次の手紙を彼らに託した。「使徒と長老たちが兄弟として、アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む、異邦人の兄弟たちに挨拶いたします。 24 聞くところによると、わたしたちのうちのある者がそちらへ行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです。 25 それで、人を選び、わたしたちの愛するバルナバとパウロとに同行させて、そちらに派遣することを、わたしたちは満場一致で決定しました。 26 このバルナバとパウロは、わたしたちの主イエス・キリストの名のために身を献げている人たちです。 27 それで、ユダとシラスを選んで派遣しますが、彼らは同じことを口頭でも説明するでしょう。 28 聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。 29 すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」 30 さて、彼ら一同は見送りを受けて出発し、アンティオキアに到着すると、信者全体を集めて手紙を手渡した。 31 彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ。 32 ユダとシラスは預言する者でもあったので、いろいろと話をして兄弟たちを励まし力づけ、 33 しばらくここに滞在した後、兄弟たちから送別の挨拶を受けて見送られ、自分たちを派遣した人々のところへ帰って行った。 35 しかし、パウロとバルナバはアンティオキアにとどまって教え、他の多くの人と一緒に主の言葉の福音を告げ知らせた。 36 数日の後、パウロはバルナバに言った。「さあ、前に主の言葉を宣べ伝えたすべての町へもう一度行って兄弟たちを訪問し、どのようにしているかを見て来ようではないか。」 37 バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。 38 しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきでないと考えた。 39 そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、 40 一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。 41 そして、シリア州やキリキア州を回って教会を力づけた。 /nはじめに  本日の聖書には、エルサレムの教会会議の結論を伝えるためアンティオキア教会に戻るパウロとバルナバ達に伴い、エルサレム教会は、バルサバとシラスという指導的な立場にいた二人を派遣したことが記されています。この二人には、会議の決定が記された手紙が託されました。手紙はアンティオキア教会だけではなく、シリア州やキリキア州のすべてのキリスト教会に宛てられたものです。キリスト者達はお互いに緊密な交わりの中にあって、異邦人キリスト者達に向けられた割礼や律法の論争のことは聞いて知っており、その結果に注目していたと考えられます。 /n託された手紙  手紙の最初には、異邦人に対しての割礼や律法の強要は、エルサレム教会の関知しないところで勝手になされたことを明らかにします。そして、「このバルナバとパウロは、私達の主イエス・キリストの名のために身を献げている人達です。」と、二人のこれまでの伝道が献身的であり、二人が信頼するに足る人達であることを証言します。そして、パウロ達の報告に加えて、さらにバルサバとシラスが会議の結論について説明することが書かれ、最後に、会議で決まった4項目が記されていました(15:29)。 /n励ましに満ちた決定  異邦人キリスト者に求められた4項目は、ユダヤ人キリスト者と交わる上で最低限守ってほしい事柄だけでした。この手紙を読んだ異邦人キリスト者は、彼らに重くのしかかっていた「割礼」の問題も「律法」からの重圧からも解き放たれ、励ましに満ちた決定を知り喜びました。 /n信仰  信仰は律法主義に陥る時、力を失います。イエス様が地上にいらした時、ファリサイ派や律法学者とよく戦われました。律法には安息日の規定が細かく記されており、ファリサイ派や律法学者はいかに完全に規定を守るかを研究していました。それが神の国に入る条件だと考えていたからです。イエス様は、律法を表面だけ守っても、そこに心がなければ意味がないことを教えられました。律法主義は人の目を気にし、又、自分の行為を人に見せたがります。それに対してイエス様は、良いことをする時は、隠れてするように教えられました。なぜなら隠れたことを見ておられる神様が報いて下さるからであり、それをおおやけにするならば、すでにこの世で報いを受けてしまっているからです(マタイ6:1-)。 神様を信じ、イエス・キリストを信じることは、律法の束縛の中に入ることではありません。そうではなく逆に、あらゆる束縛から自由になるのです。神様が共にいてくださる時、私達は人間の本能や欲望にひきずられることなく、こうありたいと願う方向へと導かれます。たとえば「○○してはいけない」という律法で「しない」のではなく,「神様に喜ばれたい。悲しませたくない」から自ら「しない道」を選択するのです。 /n衝突、そして別行動  今日の聖書の後半には、その後の一つの事件-パウロとバルナバとの衝突-が記されています。その結果、二人は別々に伝道旅行に旅立ちます。出会いの時から共に歩み、共に戦ってきた伝道の日々を考えるならば、二人の意見の衝突や別れは、どんなにつらいものだったかと想像します。しかしここで私達は、互いの一致と確信のないままで、前に進むことはできないことをも知ります。与えられた課題に真剣に向き合い、聖霊の導きを祈り、確信をもって歩むことの大切さを学びます。 対立した二人の関係がこれで終りになることはありませんでした。コリント書ではパウロがバルナバを尊敬していたことが記され、衝突の原因になったマルコについては、パウロがテモテに「マルコを連れてきて下さい。彼は私の務めを良く助けてくれるからです」(テモテ二4:11)と書いています。一時の間、別々の道を歩むことになっても、神様の憐れみと愛の中にあって、再び共に働く時が与えられることを知ります。 仙台南伝道所も、外から内から試練を受けることがあります。その時、私達は正しい信仰に固く立ち、正しい判断へと導かれて一致して戦えるように、そのような群れへと神様に育てていただきたいと願うものです。