「聖霊によるバプテスマ」 牧師 佐藤義子

/n[エゼキエル書]11章18-20節 18 彼らは帰って来て、あらゆる憎むべきものと、あらゆる忌まわしいものをその地から取り除く。 19 わたしは彼らに一つの心を与え、彼らの中に新しい霊を授ける。わたしは彼らの肉から石の心を除き、肉の心を与える。 20 彼らがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を守り行うためである。こうして、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。 /n[使徒言行録]18章24節-19章10節 18: 24 さて、アレクサンドリア生まれのユダヤ人で、聖書に詳しいアポロという雄弁家が、エフェソに来た。 25 彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネの洗礼しか知らなかった。 26 このアポロが会堂で大胆に教え始めた。これを聞いたプリスキラとアキラは、彼を招いて、もっと正確に神の道を説明した。 27 それから、アポロがアカイア州に渡ることを望んでいたので、兄弟たちはアポロを励まし、かの地の弟子たちに彼を歓迎してくれるようにと手紙を書いた。アポロはそこへ着くと、既に恵みによって信じていた人々を大いに助けた。 28 彼が聖書に基づいて、メシアはイエスであると公然と立証し、激しい語調でユダヤ人たちを説き伏せたからである。 19: 1 アポロがコリントにいたときのことである。パウロは、内陸の地方を通ってエフェソに下って来て、何人かの弟子に出会い、 2 彼らに、「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼らは、「いいえ、聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と言った。 3 パウロが、「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。 4 そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」 5 人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。 6 パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が降り、その人たちは異言を話したり、預言をしたりした。 7 この人たちは、皆で十二人ほどであった。 8 パウロは会堂に入って、三か月間、神の国のことについて大胆に論じ、人々を説得しようとした。 9 しかしある者たちが、かたくなで信じようとはせず、会衆の前でこの道を非難したので、パウロは彼らから離れ、弟子たちをも退かせ、ティラノという人の講堂で毎日論じていた。 10 このようなことが二年も続いたので、アジア州に住む者は、ユダヤ人であれギリシア人であれ、だれもが主の言葉を聞くことになった。 /nはじめに  パウロは第二回目の伝道旅行からアンティオキアに戻ったあと、再び、第三回目の伝道旅行に出かけて行きました。パウロがエフェソに到着する前に、アポロという聖書にくわしい雄弁家がエフェソに来て、伝道していました。「<span style="font-weight:bold;">彼は主の道を受け入れており、イエスのことについて熱心に語り、正確に教えていたが、ヨハネのバプテスマしか知らなかった</span>」(25節)。アポロが、ヨハネのバプテスマしか知らなかったということは、伝道者としては不十分でした。アポロの話を聞いていたアキラとプリスキラ夫婦は、アポロを、エフェソにある自分達の家に招き、更にくわしく神の道を説明して教えました。夫婦は、パウロが教えたイエス・キリストについて、救いについて、聖礼典についてていねいに語ったことでしょう。 /n主イエスを神の子・救い主と信じる信仰  アポロが「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」とはどういうことでしょうか。19章4節で、パウロはこのように言っています。 >> 「<span style="font-weight:bold;">ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです。</span>」 << 悔い改めのバプテスマは、救われる為には不可欠のものですが、あくまでもイエス様を心の内にお迎えする準備段階です。本当のバプテスマは、イエス様を自分の救い主として信じ、告白することによって、罪が赦されて、聖霊が与えられるのです。  悔い改めとは方向転換です。今まで歩んできた方向をぐるりと180度回転して、逆の方向に向き返ることです。自己中心に生きてきた者が、ぐるりと回転して、今度は神様を中心にして歩み始めることです。たとえるならば、バプテスマのヨハネの洗礼は、悔い改めて、方向転換は出来た状態です。しかし、イエス様を信じる信仰告白によって与えられる罪の赦しと、聖霊はまだ与えられていない状態といえるでしょう。 /n「信仰に入った時、聖霊を受けましたか」  アポロがエフェソを去った後、パウロがエフェソに到着して何人かのキリスト者に出会い、彼らに一つの質問をしています。それは、「<span style="font-weight:bold;">信仰に入った時、聖霊を受けましたか</span>」という質問です。彼らは「聖霊があるかどうか、聞いたこともありません」と答えました。ガラテヤ書で、パウロはこう書いています。「<span style="font-weight:bold;">あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。</span>」又、ロマ書ではこう書いています「<span style="font-weight:bold;">あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けた私達が皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。私達は洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかる者となりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、私達も新しい命に生きるためなのです。</span>」 /n主イエスの名による洗礼(5節)  パウロと出会った人達はパウロの言葉を受け入れて、今度は、「主イエスの御名」によって洗礼を受けました。彼らはこの時、主イエスへの信仰と、洗礼と、聖霊の賜物についてパウロから学んだことでしょう。そしてパウロが彼らの上に手を置くと、彼らに聖霊が降りました。 /n伝道に遣わされる者  私達の洗礼は、「<span style="font-weight:bold;">父なる神と子なる神と聖霊なる神の御名</span>」によって授けられます。信仰告白と洗礼は「神の業」であり、教会はその「業」を委託されています。伝道の担い手は、テント職人のアキラ夫婦が、アポロに自分達の信じる福音を伝えたように、すべてのクリスチャンが、その担い手として遣わされています。伝道は自分の力でしようとすれば、疲れ、長続きしません。「私がここにおります。私を遣わしてください」(イザヤ6:8)と、心を神さまに向けて祈り、その準備がある時、神様は聖霊の導きの中で、「良き証し人」として私達を用いて下さいます。悔い改めのバプテスマに終わらず、主イエスを信じる告白と共に聖霊の導きが豊かに与えられ、今週もその中で歩みたいと願うものです。