「魔術に対する福音の勝利」 牧師 佐藤義子

/n[イザヤ書] 48章17-19節 17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。 18 わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。 19 あなたの子孫は砂のように/あなたから出る子らは砂の粒のように増え/その名はわたしの前から/断たれることも、滅ぼされることもない。 /n[使徒言行録] 19章11-20節 11 神は、パウロの手を通して目覚ましい奇跡を行われた。 12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを持って行って病人に当てると、病気はいやされ、悪霊どもも出て行くほどであった。 13 ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈祷師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。 14 ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。 15 悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」 16 そして、悪霊に取りつかれている男が、この祈祷師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、傷つけられて、その家から逃げ出した。 17 このことがエフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。 18 信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。 19 また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。 20 このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。 /n終戦記念日(敗戦記念日)  私達は8月の第一日曜日を「平和聖日」として、「平和」について学びましたが、今日は8月15日ですので、「戦争」と「死」について、少し考えたいと思います。  イエス様の教えの根本は、神を愛することと隣人を愛することですから、愛から戦争が生れることはありません。  その一方でイエス様は、戦争は終末の前兆として必ず起こることを予告しています。「<span style="font-weight:bold;">戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。・・・最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから終りが来る</span>」(マタイ24:6-)。  私達はイエス様から「<span style="font-weight:bold;">平和をつくり出す人たちは、幸いである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。</span>」(口語訳 同5:9)と期待されていますが同時に、戦争が終末の前兆であることを知り、いつも目を覚ましていなければなりません(同24:44)。 /n「死」について  「死」については、聖書はどう語っているのでしょうか。ロマ書には、「<span style="font-weight:bold;">罪が支払う報酬は死です</span>」(6:23)とあり、私達が死ぬのは罪の結果であると教えています。さらに、「<span style="font-weight:bold;">私達は、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。そして、死者の中から復活させられたキリストは もはや死ぬことがない、と知っています。死は、もはやキリストを支配しません</span>」とあります(同8-9節)。  イエス・キリストを信じる者はイエス・キリストの復活にもあずかります。神様を信じ、神様が私の罪を赦す為に御子イエス・キリストを、私の為に遣わされたことを信じる者に、「<span style="font-weight:bold;">私を信じる者は、死んでも生きる</span>」(11:25)と語られた「永遠の命」が与えられています(ヨハネ福音書3:15-17)。それゆえに、もはや死は恐怖ではなく、死は地上の世界から、来るべき世界へと移される「通過点」にすぎないことを覚えたいと思います /n「イエスのことは知っている。だが、お前たちは何者だ」(悪霊の言葉)  さて本日の聖書では、ユダヤ人の祈祷師達の出来事が書かれています。ユダヤ人の祈祷師とは、ユダヤ教の信仰を捨て、おまじないをする者として各地を巡り歩いていた人々です。パウロの「イエス・キリストの名による奇跡」を見た祈祷師達は、「イエスの名」を、自分達が使っている呪文と同じように考えたようです。彼らは、正当さも真理もなしに、そして信仰もないままパウロをまねて、悪霊につかれた男に向かって「イエスによって命じる」とその名を用いました。その結果、名前だけを乱用する祈祷師達を、悪霊自身が見抜き、悪霊につかれた男に祈祷師達を襲わせたのです。この出来事によって、イエス・キリストの名には力があり、偽物は暴露されることがおおやけになり、この事件は人々に恐れを抱かせ、イエス・キリストの御名が崇められる結果となりました。 /n罪の告白と、それに伴う実践  福音が入っていくところでは「罪の告白」が生れます。生れながらの人間は例外なく告白すべき罪を持っており、福音を聞く時、その犯してきた罪を神様の前に告白して罪の赦しをいただくことで、信仰生活のスタートをきります。ここでは多くの魔術や呪術を行ってきた人達が、自分達のやってきたことは間違いであったことを告白したのです。そしてこの告白には真剣な行為が伴いました。それは、これ迄自分達が大切に使ってきたあらゆる魔術の手引書や異教的書物など、全てを焼き捨てたのです(全部で銀貨5万枚の価値)。福音が入り、罪の告白がなされた所には、それまで生きてきた古い世界との決別が明らかにされます。 /n「<span style="font-weight:bold;">悔い改めて福音を信じなさい</span>」(マルコ1:15)  私達がイエス様を信じ、イエス様に従うことは、古い世界との決別を意味します。銀貨5万枚相当の書物を焼失しても尚、価値ある福音とは、この悪の世から私達を救い出し(ガラテヤ1:4)、真理の道に導き、永遠の命を与える力を内に秘めています。全財産を投げ出しても手に入れる価値のある「福音」です。ここにおられる全ての方が「<span style="font-weight:bold;">悔い改めて福音を信じなさい</span>」とのイエス様の呼びかけに、応えることを願うものです。