「手で造ったものは神ではない」 牧師 佐藤 義子

/n[詩編]115編1-8節 1 わたしたちではなく、主よ/わたしたちではなく/あなたの御名こそ、栄え輝きますように/あなたの慈しみとまことによって。 2 なぜ国々は言うのか/「彼らの神はどこにいる」と。 3 わたしたちの神は天にいまし/御旨のままにすべてを行われる。 4 国々の偶像は金銀にすぎず/人間の手が造ったもの。 5 口があっても話せず/目があっても見えない。 6 耳があっても聞こえず/鼻があってもかぐことができない。 7 手があってもつかめず/足があっても歩けず/喉があっても声を出せない。 8 偶像を造り、それに依り頼む者は/皆、偶像と同じようになる。 /n[使徒言行録]19章21-40節 21 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、「わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない」と言った。 22 そして、自分に仕えている者の中から、テモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出し、彼自身はしばらくアジア州にとどまっていた。 23 そのころ、この道のことでただならぬ騒動が起こった。 24 そのいきさつは次のとおりである。デメトリオという銀細工師が、アルテミスの神殿の模型を銀で造り、職人たちにかなり利益を得させていた。 25 彼は、この職人たちや同じような仕事をしている者たちを集めて言った。「諸君、御承知のように、この仕事のお陰で、我々はもうけているのだが、 26 諸君が見聞きしているとおり、あのパウロは『手で造ったものなどは神ではない』と言って、エフェソばかりでなくアジア州のほとんど全地域で、多くの人を説き伏せ、たぶらかしている。 27 これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがあるばかりでなく、偉大な女神アルテミスの神殿もないがしろにされ、アジア州全体、全世界があがめるこの女神の御威光さえも失われてしまうだろう。」 28 これを聞いた人々はひどく腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫びだした。 29 そして、町中が混乱してしまった。彼らは、パウロの同行者であるマケドニア人ガイオとアリスタルコを捕らえ、一団となって野外劇場になだれ込んだ。 30 パウロは群衆の中へ入っていこうとしたが、弟子たちはそうさせなかった。 31 他方、パウロの友人でアジア州の祭儀をつかさどる高官たちも、パウロに使いをやって、劇場に入らないようにと頼んだ。 32 さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。 33 そのとき、ユダヤ人が前へ押し出したアレクサンドロという男に、群衆の中のある者たちが話すように促したので、彼は手で制し、群衆に向かって弁明しようとした。 34 しかし、彼がユダヤ人であると知った群衆は一斉に、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間ほども叫び続けた。 35 そこで、町の書記官が群衆をなだめて言った。「エフェソの諸君、エフェソの町が、偉大なアルテミスの神殿と天から降って来た御神体との守り役であることを、知らない者はないのだ。 36 これを否定することはできないのだから、静かにしなさい。決して無謀なことをしてはならない。 37 諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない。 38 デメトリオと仲間の職人が、だれかを訴え出たいのなら、決められた日に法廷は開かれるし、地方総督もいることだから、相手を訴え出なさい。 39 それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。 40 本日のこの事態に関して、我々は暴動の罪に問われるおそれがある。この無秩序な集会のことで、何一つ弁解する理由はないからだ。」こう言って、書記官は集会を解散させた。 /nはじめに  今日の箇所は、パウロの最後(三回目)の伝道旅行中に、エフェソの町で起こった出来事が記されています。この出来事を学ぶ前に、21節の言葉に注目したいと思います。「このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『私はそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った」。  この、○○しなくてはならないという強い決心は、単なる人間の思い、計画ではなく、神様から与えられた使命の確信と言えます(参照:使徒言行録20:22「私は霊に促されてエルサレムに行きます」)。パウロは行動する前に祈り、聖霊の導きによって進みます。たとえ、見えるところでは最善とは言えない状況であっても、「ねばならない」という使命から来る確信の中、パウロは突き進んでいきます。パウロの最終的使命は、全ての人がキリストと出会い、キリストの弟子へと変えられることでした。  これはパウロだけに与えられた使命ではなく、イエス・キリストを信じる私達キリスト者すべての使命でもあります。 /nただならぬ騒動  エフェソの町には、あらゆる命あるものの養母とされている女神アルテミスや、女神が祭られている大きな神殿(縦横が120mと70m、高さ19mの、128本の柱に囲まれている神殿)がありました。そのエフェソの町で、パウロは「手で造ったものなどは神ではない」(26節)と語りました。その為、デメトリオ(神殿の銀の模型や、神々の銀の模造を奉納品として、又、巡礼者の土産品やお守りの作成と販売の為、多くの美術工芸職人と労働者を雇う事業家)が、キリスト教伝道の反対運動を起こしたのです。  彼は、キリスト教伝道の結果、自分達の収入が減り、仕事の評判が悪くなり、人々から尊敬を受けなくなり、更に、アルテミスの女神の威光と有名な神殿への誇りがないがしろにされる、と、同業者達に訴えたのでした。銀細工人の抗議集会は、パウロの同行者二人を捕え、一般市民を巻き込んで野外劇場(25,000人収容)になだれ込み、集会は混乱し、大多数の者は何の為に集まったのかさえ分からなくなり、2時間もの間、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と、叫び続けました(34節)。 /nパウロを助けた二人  パウロは捕えられた仲間のために、野外劇場の中に入っていこうとしましたが、町の高官で、パウロの友人達が、パウロのその行為を止めました。この混乱する集会を治めたのは町の書記官でした。彼は人々を、「エフェソの町がアルテミスの女神と神殿の守り役であることを否定できないのだから、静かにしなさい」となだめ、人々が捕えたパウロの同行者達は神殿荒らしでも女神を冒涜したのでもないと説得し、もし訴え出たいならば、正式な法的手段を経て正式な会議で解決するよう指導し、ローマの国家管理は、このような暴動を許さないだろうと警告しました。 /n「手で造ったものは神ではない」  騒動のきっかけとなった「手で造ったものなどは神ではない」という言葉は真実です。それは詩編115篇でも、又イザヤ書44章にも記されている通りです。遠いエフェソに限らず、この日本でも手で造った神が溢れています。神社仏閣の近辺では、偶像やお守りを造り、商売で生計を立てている人達は数えきれないでしょう。私達も又、伝道する時、このように直接相手の利害にふれることもあるかもしれません。しかし、聖書は、時が良くても悪くても福音を伝えることを命じています(二テモテ4:2)。私は前任地で、お寺の長男の方が洗礼を受ける場に立ち会いました。  パウロがこの騒動から守られたのは、エフェソの町の友人と書記官を通してですが、その背後に主が共におられたからです。私達も、共にいて助けて下さる主を信じて、手で造ったものはまことの神様ではないことを知らせ、「本当の神様」を、大胆に宣べ伝える者にされたいと思います。