「福音にあずかる道」 牧師 佐藤義子

/n[民数記]6章1-5節 1 主はモーセに仰せになった。 2 イスラエルの人々に告げてこう言いなさい。男であれ、女であれ、特別の誓願を立て、主に献身してナジル人となるならば、 3 ぶどう酒も濃い酒も断ち、ぶどう酒の酢も濃い酒の酢も飲まず、ぶどう液は一切飲んではならない。またぶどうの実は、生であれ、干したものであれ食べてはならない。 4 ナジル人である期間中は、ぶどうの木からできるものはすべて、熟さない房も皮も食べてはならない。 5 ナジル人の誓願期間中は、頭にかみそりを当ててはならない。主に献身している期間が満ちる日まで、その人は聖なる者であり、髪は長く伸ばしておく。 /n[使徒言行録]21章17-26節 17 わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。 18 翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。 19 パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。 20 これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。「兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。 21 この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、『子供に割礼を施すな。慣習に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです。 22 いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。 23 だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。 24 この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。 25 また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。」 26 そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。 /nはじめに  パウロの三回目の、御言葉を伝え続けた伝道旅行が終り、エルサレムに到着したパウロ達一行は、同じ信仰の仲間達から喜んで迎えられました。翌日パウロは、同行した7人とルカ(使徒言行録の著者であり医者)と共に、当時エルサレム教会の指導者となっていたヤコブ(イエス様の兄弟)を訪問しました。エルサレム教会の長老達もそこに集まっていました。19節には、「<span style="font-weight:bold;">パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。</span>」と記されています。おそらく18:23以下に記された、エフェソで出会った12人のキリスト者に聖霊が降った出来事、ユダヤ人祈祷師達が、主イエスの名を語って悪霊を追い出そうとした時、悪霊につかれた男が祈祷師に飛びかかりひどい目に合わせた出来事、それによって主イエスの名が崇められるようになったこと、魔術師達が魔術の書物を焼き捨てたこと、更にはエフェソの銀細工人達がパウロを目の敵にして大集会を開いた中でパウロが守られたことなど報告したのでありましょう。ここで注目すべきは「<span style="font-weight:bold;">神が・・行われたことを報告した</span>」ということです。「わたしは○○をしてきました」ではなく、「神」がなさった報告です。ここにキリスト者の語る姿が描かれています。  続いて報告を受ける側の反応にも注目したいと思います。「<span style="font-weight:bold;">これを聞いて、人々は皆神を賛美し</span>」(20節)です。キリスト者の集会は、語る者も聞く者も、神様を中心として、最終目的は神様を賛美することなのです。 /n悪意あるうわさ  エルサレムの長老達は、パウロについて心配していることがありました。それは、パウロがキリスト教に改宗したユダヤ人達に、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と言って、律法を守ることから離れるように教えているという「悪意のあるうわさ」でした。勿論これは誤解です。パウロが語ったのは、律法を守ることで救われると考えている人々に、律法が神の国に入る条件ではなく、主イエス・キリストが私達の罪の為に十字架で死んで下さったことで、神様は私達の罪を赦して下さった。私達はこのキリストを信じることによって救われると語ったのです。 /n「うわさは根も葉もない」と分かってもらう提案  ヤコブをはじめエルサレム教会の長老達は、パウロを正しく理解していたでしょう。しかし熱心に律法を守っているユダヤ人キリスト者の間に広がるうわさを信じる人達は、パウロがエルサレムに滞在していることを知るならば、必ず騒ぎ出してパウロを捕えようとするでしょう。そこでエルサレム教会の指導者達が考えたことは、ユダヤ人に対してパウロ自身が身の潔白を証明するために、律法に定められていることを実践することでした。それによってパウロは決して律法をないがしろにしておらず、律法を守る人物であることが明らかになり、誤解も解けるだろうという提案でした。 /n「<span style="font-weight:bold;">福音のためなら、私はどんなことでもします。</span>」(一コリント9:23)  パウロの考えからすれば、この提案・・すなわち四人の誓願者と共に神殿に行き、清めを受け、彼らの頭をそる費用を出すという「律法を守る行為」をあえて行なう必要はありませんでした。彼は律法から自由にされていたからです。しかしパウロはこの提案を受け入れました。  なぜでしょうか。それは伝道者の使命感と、キリストの愛と、教会の一致の為と考えられます。パウロは「<span style="font-weight:bold;">ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、私自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。</span>」(一コリント9:20)と記しています。  救いの為に謙虚に最善を尽くし、不必要な争いや分裂を避け、教会の一致の為に愛をもって行動したパウロの姿をここに見ます。