「世に勝つ者はだれか」 牧師 佐藤 義子

/n[創世記]22章15-18節 15 主の御使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。 16 御使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、 17 あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。 18 地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」 /n[ヨハネの手紙一]5章1-5節 1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。 2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。 3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。 4 神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。 5 だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。 /nはじめに  本日の礼拝は、礼拝開始満8周年の感謝の礼拝でもあります。教会の誕生には、教会が主体となって生み出す形や、個人(信徒)が家庭集会を開き、それが土台となって出来る形、さらには東北各地で見られるように、宣教師の伝道の結果生まれた教会も多くあります。この仙台南伝道所は、私が、それまで赴任していた伝道所を辞任してフリーになったことから、博子姉宅の応接間を開放していただき、礼拝を始めるようになりました。  礼拝開始より1年半後に日本基督教団の伝道所として承認されましたので、実質的な親教会はありませんが、東北教区や相双・宮城南地区とは協力関係にあります。礼拝開始より今日まで礼拝が守り続けられてきたことは、ただ、神様の憐れみによるもので、本当に感謝なことです。今朝はそのことを覚えつつ、礼拝をささげたいと思います。 /n本当の弟子  教団の教会として承認されるための提出書類の中で、私は以下のように書きました。 「『 <span style="font-weight:bold;">私の言葉にとどまるならば、あなたたちは本当に私の弟子である。</span>』 (ヨハネ8:31)。教会は「本当の弟子」となる道へと招かれている者を支え、導き、助言する役割を担っている。開拓伝道という一つの小さな業を始めるにあたり、『御言葉と祈り』によって、霊的な食物を絶やさず与えられ、学び、成長を続けるキリスト者、『<span style="font-weight:bold;">死に至るまで忠実である</span>』(黙示録2:10)キリスト者、さらに『<span style="font-weight:bold;">喜び、平和、寛容、親切、善意、柔和、節制</span>』などの信仰から生じる霊の実を通して、地の塩・世の光の役割を担うキリスト者の群が形成されていくことを祈りつつ、伝道の業に励んでいきたい。」 /n御言葉は食物、祈りは呼吸  信仰を与えられた者は、「キリストの本当の弟子になりたい。本当の弟子としてふさわしく自分を作り上げて下さい」との祈りが始まります。毎日御言葉を読む時、聖霊の働きと共に魂に栄養が与えられ、毎日祈ることによって、聖霊の働きと共に魂に新鮮な酸素が送りこまれ、これらの日々の継続がキリスト者をつくりあげていくように思います。  魂に、栄養も呼吸もスムーズにとりこめない危機的状況の時がくることもあるでしょう。そのような時には、「静まって、わたしこそ神であることを知れ」(今年度の御言葉)との語りかけを聞きましょう。 /n神から生まれる  今日の聖書に「イエスを救い主と信じる人は皆、神から生まれた者」とあります。母の胎内から生まれた者が、今度は神から生まれるのです。それは上からの誕生です。神から生まれるとは「神様を父として」生を受ける、命を受けると言うことです。神から生まれた者は、生んでくださった神を愛するにとどまらず、同じように神から生まれた者(兄弟姉妹)をも愛する、とあります。見えない神を愛するとは「独り子を私達の為に遣わされた」(4:9)ことを信じて受け容れることです。そして、その独り子イエス様が私達の救い主であると信じる時、「<span style="font-weight:bold;">キリストと結ばれる人は誰でも新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。</span>」(二コリント5:17)との世界へと導かれていくのです。 /n世に勝つ者は誰か  3節に「<span style="font-weight:bold;">神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません</span>」とあります。なぜなら神から生まれた者は本質的に、この世にすでに打ち勝たれた主イエスへの信仰を通して、この世に打ち勝っているからです。神の掟(互いに愛し合う)は、信じる者の行くべき道を明らかに示すゆえに、信仰者を堅く立たせる役割を果たします。信仰者が神の掟を守る時、彼らの中に宿る神の力がこの世の力よりも強いことが明らかになります。この世に打ち勝たれた主イエスのように、「<span style="font-weight:bold;">主イエスを神の子と信じる者</span>」が、「<span style="font-weight:bold;">この世に打ち勝つ</span>」のです。