説教要旨 「メシアのしるし」 牧師 佐藤 義子

/n[イザヤ書]7章14節 14 それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。 /n[ルカによる福音書]2章1-12節 1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。 2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。 3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。 4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。 5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。 6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、 7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。 9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。 10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。 11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」 /nはじめに  本日読んでいただいた聖書の箇所は、イエス・キリストの誕生に際して起こった出来ごとが記されています。聖書によれば、この年、人口調査が行われて、人々は自分の出身地に戻り、住民登録をしなければなりませんでした。 (エジプトで発掘された戸籍調査の記録は以下の通りです。「ガイウス・ヴィビウス・マクシムス、エジプト総督は次のように命じる『戸籍調査の時が来たことを知ったなら、いかなる理由があるにせよ、自分の地区以外に滞在する者はみな、自分の家に帰るよう強制しなければならない。それは、戸籍調査の規則を守らせると同時に、自分に割り当てられた土地の耕作にまじめに従事させるためである。』」) /nナザレからベツレヘムへ  聖書の後ろにある地図6を見ますと、ガリラヤ湖の左にナザレがあり、ヨセフの出身地であったベツレヘムは死海の左側にあります。その距離は120キロといわれますが、当時の旅は乗り物と言えばロバでしょうから、ロバがあったとしても、身重のマリアにとって、この旅がどれほど大変であったかは想像できます。ようやく到着したベツレヘムでも、住民登録のため故郷に帰って来た人々で溢れ、7節には「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」とあります(口語訳:「マリアとヨセフのいる余地はなかった」)。  彼らがたどり着いた場所は馬小屋でした。(当時は、家の近くにある洞窟を、馬小屋として使用しており、そのような場所で誕生されたとも考えられています)。 /nこの世の価値観とは関係のないところで・・  人々が、自分のことで精一杯で、疲れて眠っていたその夜に、イエス・キリストはお生まれになりました。実はここに大きな意味が隠されています。神の御子はこの地上での価値観とは一切関係のないところで、すなわち、富も名誉も権力もいっさいなく、ただ神様のご支配のもとで、神様の御計画の中に置かれたということです。そして当時、卑しい職業とみなされていた羊飼い達の所へ、この誕生の知らせが最初に届きました。貧しく何の力ももたず、野宿しながら夜通し羊の群れの番をしなければならなかった羊飼い達に、神の御子誕生のニュースが最初に届いたのです。  天使は告げます「<span style="font-weight:bold;">恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけの中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。</span>」と。  イスラエルの民が、700年も前から預言者イザヤを通し、或いは預言者ミカを通して与えられ、待ち続けたメシア誕生の約束がこの日、成就されたのです。 /n神様と平和の関係におかれる  救い主誕生の約束の実現は、私達の住むこの世界に大いなる喜びをもたらしました。この喜びは、イスラエルの民を超えて、主イエスを神の子と信じる全世界の全ての人に与えられた喜びです。救い主は、神様から遠く離れていた私達を、再び神様につなげて下さる働きをするために来て下さいました。  救いとは罪の赦しです。神様と平和の関係におかれることです。生まれながらの罪の支配のもとで生きてきた私達が、罪を悔い改めてイエス様を神の子・救い主と信じることによって罪が赦されるのです。信じる者は、罪の支配から神様の支配へと移されます。それまで自分が自分の人生の主人でしたが、これからは、神様を自分の御主人として仕えていく人生へと変えられていくのです。 /nメシアのしるし  信じる者の世界は、このベツレヘムの夜の出来事に似ています。見えるところでは華々しいものは何もなく、貧しさしかありません。しかし、天では主の使いが、「布にくるまり、飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそメシアのしるし」と告げ、神様の栄光を称えています。神様を信じる者は、この世の支配のもとで生きながらも、神の民の一員として神様の御計画の中を歩める平安や喜びや慰めがあります。このクリスマスの時、全ての者が「私の為に救い主が来られた」と告白できるように祈ります。