「行け。わたしがあなたを遣わす」 牧師 佐藤 義子

/n[詩編]18章26-31節 26 あなたの慈しみに生きる人に/あなたは慈しみを示し/無垢な人には無垢に 27 清い人には清くふるまい/心の曲がった者には背を向けられる。 28 あなたは貧しい民を救い上げ/高ぶる目を引き下ろされる。 29 主よ、あなたはわたしの灯を輝かし/神よ、あなたはわたしの闇を照らしてくださる。 30 あなたによって、わたしは敵軍を追い散らし/わたしの神によって、城壁を越える。 31 神の道は完全/主の仰せは火で練り清められている。すべて御もとに身を寄せる人に/主は盾となってくださる。 /n[使徒言行録]21章37節-22章21節 21章 37 パウロは兵営の中に連れて行かれそうになったとき、「ひと言お話ししてもよいでしょうか」と千人隊長に言った。すると、千人隊長が尋ねた。「ギリシア語が話せるのか。 38 それならお前は、最近反乱を起こし、四千人の暗殺者を引き連れて荒れ野へ行った、あのエジプト人ではないのか。」 39 パウロは言った。「わたしは確かにユダヤ人です。キリキア州のれっきとした町、タルソスの市民です。どうか、この人たちに話をさせてください。」 40 千人隊長が許可したので、パウロは階段の上に立ち、民衆を手で制した。すっかり静かになったとき、パウロはヘブライ語で話し始めた。 22章 1 「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いてください。」 2 パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。 3 「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。 4 わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。 5 このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」 6 「旅を続けてダマスコに近づいたときのこと、真昼ごろ、突然、天から強い光がわたしの周りを照らしました。 7 わたしは地面に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と言う声を聞いたのです。 8 『主よ、あなたはどなたですか』と尋ねると、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである』と答えがありました。 9 一緒にいた人々は、その光は見たのですが、わたしに話しかけた方の声は聞きませんでした。 10 『主よ、どうしたらよいでしょうか』と申しますと、主は、『立ち上がってダマスコへ行け。しなければならないことは、すべてそこで知らされる』と言われました。 11 わたしは、その光の輝きのために目が見えなくなっていましたので、一緒にいた人たちに手を引かれて、ダマスコに入りました。 12 ダマスコにはアナニアという人がいました。律法に従って生活する信仰深い人で、そこに住んでいるすべてのユダヤ人の中で評判の良い人でした。 13 この人がわたしのところに来て、そばに立ってこう言いました。『兄弟サウル、元どおり見えるようになりなさい。』するとそのとき、わたしはその人が見えるようになったのです。 14 アナニアは言いました。『わたしたちの先祖の神が、あなたをお選びになった。それは、御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。 15 あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。 16 今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。その方の名を唱え、洗礼を受けて罪を洗い清めなさい。』」 17 「さて、わたしはエルサレムに帰って来て、神殿で祈っていたとき、我を忘れた状態になり、 18 主にお会いしたのです。主は言われました。『急げ。すぐエルサレムから出て行け。わたしについてあなたが証しすることを、人々が受け入れないからである。』 19 わたしは申しました。『主よ、わたしが会堂から会堂へと回って、あなたを信じる者を投獄したり、鞭で打ちたたいたりしていたことを、この人々は知っています。 20 また、あなたの証人ステファノの血が流されたとき、わたしもその場にいてそれに賛成し、彼を殺す者たちの上着の番もしたのです。』 21 すると、主は言われました。『行け。わたしがあなたを遠く異邦人のために遣わすのだ。』」 /nはじめに  今日の聖書の前には、パウロが彼に敵対し殺意を抱くユダヤ人によって、神殿で捕えられた出来事が記されています。ギリシャ人を境内に連れ込んで神殿を汚したという誤解によるものでした。突然、拉致されて暴行を受けたパウロは、かなり身体にも傷を受けていたことでしょう。しかし幸いなことに神殿というおおやけの場所でなされたこの事件は、駐留していたローマの軍隊が駆け付けることになり、パウロは、暴徒化したユダヤ人から命を守られる結果となりました。パウロは二本の鎖で縛られて、ひとまず兵営に連れていかれることになりますが、兵営に連行される時、彼は千人隊長に自分を襲った人々に話をさせて欲しいと頼み、許可をとります。そして語った内容が、今、司会者に読んでいただいたところです。 /n異常事態でも・・  パウロはこのきわめて異常事態の中で、なぜこのように平静に語ることができたのでしょうか。私達の多くは、何かことが起こり自分を取り巻く環境が全く変わってしまうと、普通に語り続けることが困難になります。予想していない目の前の出来事に飲み込まれて落ち着きを失い、自分の置かれた状況にどう向き合ったらよいのかわからなくなりがちです。  しかしパウロは、自分のとった行動の結果に対して、常に責任を引き受ける覚悟がありました。彼のなすことはすべて信仰の良心に従って確信をもったものでしたから、神が共にいて下さるという平安の中で、聖書に記されている通り、自分自身の証しを力強く語ることが出来たのです。 /nパウロの証し  パウロは自分と同じユダヤ人に対して、ヘブル語(民族の言葉)で、それまで迫害していたキリスト教徒に自分がなぜなったのか、そのプロセスを丁寧に語りました。彼はダマスコ途上で、突然天からの光を受け、イエス・キリストの声を聞きました。彼は復活のキリストに出会い、信じて従ったのです。人がキリスト者になる時に、言われるたとえがあります。それは、天からいつも私達に向けて手が差し伸べられており、私達がその手に向かって自分の手を差し出す時、そこに神様との出会いが起こるというものです。私達が結婚式やその他の祝い事の招待状を受け取る時、その招待に応じるかどうかを決めるように、神様が聖書を通して神の国に私達を招待して下さっているその招き(救いの招き)に対して、私達は応答しなければなりません。  パウロは、復活のキリストの声を聞いて信じて従いましたが、その場に一緒にいてパウロの目撃者となった人々が、パウロと同じようにイエス・キリストに従ったという聖書の記述はありません。現代も又、神様に出会う機会は多く用意されています。が、その時を恵みの時として受けるか、そうでないか、道はいつも二つに分かれています。信じて従う道を歩んだパウロを、その後、イエス・キリストがどのように導いて下さったのか、パウロは、この時を逃さずユダヤ人に向かって語り、証しをしました。 /nイエス・キリストはパウロにも私たちにも同じように・・  パウロに現れてくださったイエス・キリストは、聖霊の働きを通して今を生きる私達にも深くかかわって下さいます。今、ここにこうして礼拝に招かれているのも、聖霊の働き(導き)によるものです。私達が意識する、しないにかかわらず、神様は生きて働き、人格(神格)をもって私達を招き、私達が神様に向かって手を差し出すのを待っておられます(讃美歌2編:196番)。  聖書は神様の言葉であり、神様の霊の導きの下に書かれており(二テモテ3:16)、そこには真理の光があります。真理を求める者は誰でも真理のもとにくることが出来ます(ヨハネ8:31-32)。 暗闇を歩けば小石にもつまずくように、生まれながらの人間が自分の正しいとする判断だけで生きることは、暗闇の中を歩くようなものです。しかし聖書の光に照らされながら歩くことは、太陽のもとで歩くのと同じで、小さな小石でもはっきり見えて、つまずくことはありません(ヨハネ福音書12:35-36)。  パウロは神から来る平安の中で語り続けました。彼には主イエス・キリストの言葉「<span style="font-weight:bold;">行け。私があなたを遣わすのだ</span>」(21節)が傍らにいつもあります。