「神の守り」 牧師 佐藤義子

/n[詩編]111編1-10節 1 ハレルヤ。わたしは心を尽くして主に感謝をささげる/正しい人々の集い、会衆の中で。 2 主の御業は大きく/それを愛する人は皆、それを尋ね求める。 3 主の成し遂げられることは栄え輝き/恵みの御業は永遠に続く。 4 主は驚くべき御業を記念するよう定められた。主は恵み深く憐れみに富み 5 主を畏れる人に糧を与え/契約をとこしえに御心に留め 6 御業の力を御自分の民に示し/諸国の嗣業を御自分の民にお与えになる。 7 御手の業はまことの裁き/主の命令はすべて真実 8 世々限りなく堅固に/まことをもって、まっすぐに行われる。 9 主は御自分の民に贖いを送り/契約をとこしえのものと定められた。御名は畏れ敬うべき聖なる御名。 10 主を畏れることは知恵の初め。これを行う人はすぐれた思慮を得る。主の賛美は永遠に続く。 /n[使徒言行録]27章27-44節 27 十四日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた。真夜中ごろ船員たちは、どこかの陸地に近づいているように感じた。 28 そこで、水の深さを測ってみると、二十オルギィアあることが分かった。もう少し進んでまた測ってみると、十五オルギィアであった。 29 船が暗礁に乗り上げることを恐れて、船員たちは船尾から錨を四つ投げ込み、夜の明けるのを待ちわびた。 30 ところが、船員たちは船から逃げ出そうとし、船首から錨を降ろす振りをして小舟を海に降ろしたので、 31 パウロは百人隊長と兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助からない」と言った。 32 そこで、兵士たちは綱を断ち切って、小舟を流れるにまかせた。 33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めた。「今日で十四日もの間、皆さんは不安のうちに全く何も食べずに、過ごしてきました。 34 だから、どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません。」 35 こう言ってパウロは、一同の前でパンを取って神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。 36 そこで、一同も元気づいて食事をした。 37 船にいたわたしたちは、全部で二百七十六人であった。 38 十分に食べてから、穀物を海に投げ捨てて船を軽くした。 39 朝になって、どこの陸地であるか分からなかったが、砂浜のある入り江を見つけたので、できることなら、そこへ船を乗り入れようということになった。 40 そこで、錨を切り離して海に捨て、同時に舵の綱を解き、風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んだ。 41 ところが、深みに挟まれた浅瀬にぶつかって船を乗り上げてしまい、船首がめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波で壊れだした。 42 兵士たちは、囚人たちが泳いで逃げないように、殺そうと計ったが、 43 百人隊長はパウロを助けたいと思ったので、この計画を思いとどまらせた。そして、泳げる者がまず飛び込んで陸に上がり、 44 残りの者は板切れや船の乗組員につかまって泳いで行くように命令した。このようにして、全員が無事に上陸した。 /nはじめに  受難節の第4聖日の礼拝を、ご一緒に守れることを感謝いたします。  礼拝の中で「使徒言行録」を読み始めたのは、2009年1月からですが、今日は司会者に27章の終りまで読んでいただきました。(使徒言行録は28章まで)。  使徒言行録を読み始めた時には、読み終える時期にこのような大震災が身近に起こるなど誰も予想していませんでした。先週から27章に入り、この箇所は、パウロ達が乗った船が暴風に襲われ、難破した出来事が記されています。言い換えれば、パウロをはじめ乗船した人々が自然の猛威の中に置かれ、死をも覚悟しなければならない極限状態の中にあるということです。それゆえ、その中身は異なりますが、今、私達それぞれが置かれている状況と重ね合わせながら読む時、聖書の言葉がより身近に響いてくるように思います。 今日の聖書は、ローマに護送されるパウロの乗った船が、パウロの反対を押し切って危険な航海に乗り出した為に、案の定、暴風に巻き込まれ、幾日もの間太陽も星も見えないまま、嵐の中を漂流し、乗客は絶望の中に置かれてから二週間たった時の話です。 /n「あの人達がいなければ、あなたたちは助からない」  真夜中に、船員が水の深さを測ると36mあり、更に進んで測ると27mと浅くなっていました。明らかに陸に近づいている兆候です。そこで、船が暗礁に乗り上げるのを防ぐ為に、船の後ろにいかりを降ろしたのですが、船員達はそれに乗じて自分達だけ逃げようと小舟を海に降ろしました。真夜中にもかかわらず、パウロは船員達の仕事を見守っていたのでしょうか。すぐにこのことを隊長と兵士に知らせました。今、船員がいなくなれば、残された人達は助かる見込みはありません。知らせを受けた兵士達は、船員が逃げていかないよう、小舟の綱を断ち切り、小舟を流してしまいました。そしてひたすら夜が明けるのを待ちました。 /n信仰者とそうでない者  第二コリント書に「私達は見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(4:18)。とあります。  信仰がなければ、見える状況が絶望的であれば、絶望するしかありません。しかし信仰があれば、見える状況がたとえ絶望的であったとしても、「私達は四方から苦しめられても行き詰らず、途方にくれても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。・・イエスの命が現れるために。」(同4:8)とある通りです。  276人の乗客乗員は、絶望の中で食欲もなく、二週間、何も食べていませんでした。パウロは彼らを励まし、生き延びる為に食べるように勧めました。そして、自分は必ず皇帝の前に立つという使命があって、神がそれをさせて下さるから、一緒にいるあなた達も必ず守られると語り、パンを取って神様に感謝の祈りを献げ、パンを裂いて食べ始めました。そこで人々も元気づいて、二週間ぶりに食事をとることが出来たのです。 /n神の守り  朝になり、陸地を目の前にしたものの、船は浅瀬にぶつかり乗り上げて動かなくなり、激しい波によって船が壊れ始めました。そのため兵士は囚人を殺そうとしました。囚人を逃がせば、兵士は代わりに囚人と同じ刑を受けねばならないからです。パウロにとって最後まで死の危険が伴っていたのです。しかし百人隊長はパウロの命を守ろうと、兵士達の計画を思いとどまらせました。そして全員、泳いで陸に上がることができました。この百人隊長の「パウロを『助けたい』」と思ったのも、全員が『無事』であったのも、28:1の『助かった』のも、すべて同じ原語で「救う」という意味の言葉です。  27章は、「神様によって救われた」キリスト者の証しの記録です。そして、それを読むわたし達も、この震災の中を神様によって救われた者たちです。