「賛美を忘れた九人」   牧師 佐藤義子

/n[詩編]22編25-30節 主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。王権は主にあり、主は国々を治められます。命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。 /n[ルカによる福音書]17章11-19節 イエスはエルサレムへ上る途中、サマリアとガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、 声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。 イエスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 その中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 そして、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。 この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」 それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」 /nはじめに  今日の聖書は、イエス様がエルサレムに向かう旅の途中の出来事です。場所はサマリヤとガリラヤの間、丁度境界線のあたりにある村のようです。当時、ユダヤ人とサマリヤ人が敵対関係にあったことは知られていますが、今日、登場する重い皮膚病(初めの訳ではらい病)の、十人の中に、一人のサマリヤ人がいたということから、病で苦しむ者にとっては民族の対立を超えて、いやしのために、一緒にイエス様に助けを求めたと思われます。 /n重い皮膚病 「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口髭をおおい、『私は汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状がある限り、その人は汚れている。その人は、独りで宿営の外に住まねばならない」とレビ記にあります(13:45)。 この病は、皮膚および皮下神経が犯されて奇形を起こし外観も醜くなり皮膚の感覚もなくなる為、当時、「神に打たれてなる病」と考えられました。彼らは「罪ある者、汚れた者」とみなされ、肉体的な苦痛のみならず、精神的にも耐えなければなりませんでした。 /n「祭司たちの所へ行って、体を見せなさい。」(14節)  イエス様に遠くから「憐れんで下さい」と呼ばわった十人に、イエス様は、祭司のもとに行くよう言われました。レビ記14章に、この病が治った時にするべきことは、まず祭司に体を見せて、確かに治っていると判断されれば、清めの儀式を受けることが定められていました。祭司の所に行くのは、この病が治った人達です。ところが彼らは大声でイエス様に癒してほしいとお願いしただけです。それにもかかわらず、イエス様は彼らに、祭司の所に行くようにと指示されたのです。   彼らはその言葉に従いました。彼らはイエス様を全面的に信頼し、言われた通りに祭司の所に向かったのです。その途中で奇跡が起き、彼らは全員癒されました。あれほど苦しんできた病が癒されるという出来事が、彼らの人生の中で起こったのです。天にも昇る心地だったでしょう。苦しみが強ければ強いほど、喜びも又、大きいものです。 /n賛美と感謝 その直後、一人のサマリヤ人が、自分に起こった神様のわざを大声で賛美しながら、その神様の御業へと導いて下さったイエス様に感謝をささげるために戻って来ました。戻ったのは、彼、一人だけでした。 イエス様は言われました、「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。」(17節-) イエス様の失望と落胆は大きかったに違いありません。 /n戻らなかった九人  九人のユダヤ人は、サマリヤ人が戻るのを見ても、「彼はユダヤ人でないのに癒してもらったのだから当然」と見過ごしたのでしょう。自分達(選民)は、このような恵みを受けるのは当然と思い上がり、癒される前の自分がどんなにみじめで辛い日々をすごしてきたのか、どれほどイエス様の癒しを待ちわびていたのか忘れたのです。忘れてならないイエス様の恵みに対する感謝も、この奇跡を起こされた神様の業への賛美も忘れ、自分に夢中で(一刻も早く社会復帰へ!)、自己を優先させました。 /n「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」(19節)   賛美と感謝を忘れなかったサマリア人は、イエス様の救いが肉体だけにとどまらず、精神、その心を含めたすべての救いにまで及びました。この救いは神の国に入り、神の民とされたことを意味します。 神様を知っていながら「私は運が良い!」「ラッキー!」という言葉で神様の恵みを終らせるなら、それは神様の恵みを無駄にした九人と同じです。私達は優先順位を間違えず、先ず賛美と感謝から始めましょう。