「試練を越えて」  原口尚彰先生(東北学院大学)

/n[コリントの信徒への手紙一] 10章13節 あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。      /nはじめに 3月11日に起こった大震災から半年近く経過して、私達の日常生活もやっと落ち着きを取り戻してまいりました。人命救助や緊急避難の段階は過ぎ、復旧・復興の途上にある段階にきていますが、少し落ちついてきたこの時点で、もう一度、大震災の意味について、聖書に基づいて、考えてみたいと思います。 今回の大震災は、近代日本を襲った最大の地震であり、私達の予想をはるかに越えて起こりました。地震学者の研究によりますと、平安時代(869年)に、東北を襲った大地震と同程度だったといわれております。もしそれが正しいとするならば、日本列島では1000年に一度起こるかどうかの大地震に私達は見舞われたということになります。世界の震災の歴史をみても、マグニチュード9を越える地震はまれでして、最近100年ではチリ沖地震、スマトラ沖の地震くらいです。この未曾有の大地震の結果、建物や道路や町が破壊され、特に沿岸部の石巻や気仙沼や南三陸町の地域は津波に襲われて、町は大変に破壊され、土台だけを残して廃墟になってしまいました。そのため多くの人達が命を亡くしましたし、現在も行方不明です。生き残った人達も家を失くして避難所暮らしを強いられ、自分の家は無事であっても、しばらくは電気も水道もなく、少量の水や食料で暮らさなければならない経験を、皆様もされたと思います。又、福島第一原発の近隣地域に住んでいる人々は、津波によって引き起こされた原発事故のために、町村ごとに避難を強いられ、現在に至っています。 大地震や津波など自然災害は人命を奪い、人の生活基盤を破壊する恐ろしい出来事であるということは前もっていえるわけであります。しかし、キリスト教信仰の立場から、この大震災をどうとらえるかは、又、おそらく別のところにあるのではないかと思います。 /n祈祷会でささげられた祈り  3月11日の2日後は日曜日でした。その日、私は作業着を着てリュックサック(聖書・讃美歌・水と非常用の食料)を持って、教会迄歩いていきました(一時間くらい)。教会は無事で、やはり作業着を着た牧師夫妻が迎えてくれました。当日は20人位の人達が集まりました(通常は80人位)。何より、お互いが無事であったことを確かめ、喜び合いました。長い距離を歩いてきた人や避難所から来た人もおりました。しかし水道と電気が通じなくて礼拝堂は暗くて使えず、窓が多く比較的明るい集会室がありましたので、そこでローソクを灯して礼拝を行いました。礼拝後、祈祷会をもちました。生き残ったことへの感謝の祈りが強くありました。苦難の中にある人達の助けや慰めを祈る祈りもありました。 その中にざんげの祈りがいくつかありました。なぜ「ざんげの祈り」かというと、この大震災・大災害は、普段自然を破壊し、自然を浪費し続けている我々人間への神の裁き・警告ではないか。私達人間はそれを反省しなければいけない、という祈りでありました。 /n天災と天罰 この時、私が思い出したのは、関東大震災の時になされた「天譴論(てんけんろん・天のけん責)」の議論です。これは、「大震災は私達の行ないの悪の故であり、天が懲らしめている」という議論です。この議論は、渋沢栄一(当時東京商工会議所会頭)が言い始めた議論で、明治維新以来、東京は、政治、経済の中心となって繁栄を続けてきた。その中で人々はおごり、私利私欲に走り、道徳的に乱れた日本に与えた天のけん責が関東大震災であるという趣旨です。これはかなりの反響を呼びました。キリスト教会でも、この議論に賛同する人が多く、無教会の内村鑑三や、日本基督教会の牧師である植村正久も同意しています。 /n今回の震災と罪悪の因果関係 文明生活を享受している現代人が、繁栄の中で享楽的になったり、退廃的になったりしてモラルが低下しているのは事実であるでしょう。そしてそのことを反省するのも大事かもしれません。しかしそのことと、大震災が起こったという事実の中に、本当に因果関係があるのでしょうか。確かに聖書には、創世記のソドムとゴモラの話のように、自然災害と罪悪との関係を見ることは出来ます(創世記18:20、19:24参照)。しかし、今回起きた大災害とあてはめて結論を出すのは、きわめて危険なことのように思われます。なぜかというと、震災で命を奪われた人達が、震災を生き延びた私達よりも物欲的で不道徳な生活を送っていたかというと、そういうことは全く言えません。特に今回は、関東大震災と違い、日本の繁栄のおごりの中心であった首都圏ではなくて、むしろ過疎化、高齢化が進んでいた東北地方を襲ったわけであり、特に津波で多くの被害を受けた三陸地方では、漁民が海で魚を取って暮らす場所であり、華美や奢侈やおごりからは縁が遠かったということを考えると、災害と人間の罪悪や物欲と結び付ける因果関係はなかったと結論せざるを得ません。 /n宗教の語るべきこと さて、震災の中で宗教が語るべきことは何でしょうか。おそらく裁きを語って悔い改めを迫るのではなくて、むしろ慰めや希望ではないかと思います。震災の為に命を亡くした家族がいますが、その人達の死を弔うことであり、天における平安を祈ることでなければならないと思います。特に生き残った人達は、愛する者を突然に失った悲しみの中にあって、自分達だけが生き残った、身内を助けることは出来なかった、そのことへの強い罪責感をもっております。その中で残された人々に、残された命の大切さを語る、慰めや励ましを語る、そのことこそ宗教は語らなければいけないのではないでしょうか。 天譴論に賛同した内村鑑三も、裁きを語って悔い改めを迫る側面と共に、苦難の中にある人々に慰めと希望をも語っています。「今は悲惨を語るべき時ではありません。希望を語るべき時であります。夜はすでに過ぎて光が臨んだのであります。皆さん、光に向かってお進みください。・・今から後は、イザヤ書40章以下の預言者として彼らを慰め、彼らを鼓舞し、彼らの傷を癒さなければならない。」又、同じように震災天罰論を説いた植村正久牧師も、震災の中でさまざまな救援活動に携わることを、「神の愛のわざに参加する」こととして、目前の課題に取り組むよう積極的に勧めました。  今回の震災は、たまたま同じ時に、同じ場所にいたという偶然的な理由によって、そこにいたすべての人に等しく及び、同じ被災者になりました。そして今回、私達は生き延びることが許されたことへの御恵み、命の大切さを感じると同時に、私達の安否を問うてきた家族や親せきや友人達のつながりの強さを実感させられました。同時に普段は挨拶を交わす程度の近所の人達との情報の交換や助け合いを経験致しました。又、教会によっては、教会が避難所になったり、物資の供給場所として救援物資の配布やボランティアの派遣を行ない、がれきの撤去など、教会が地域の人と共に生きるという体験をしました。日本基督教団東北教区センター「エマオ」も、震災後早くから今も救援活動を行っています。 /n信仰の立場から  信仰の立場からすると、震災は、神が人間に与えた試練の一つであるといえると思います。試練は神が私達に与える苦難でありますが、試練によって信仰を放棄する危険が一方ではあります。しかし試練を通して信仰が練り清められる、深まるということもあります。先程読んでいただいた、コリントの手紙一 10:13は、著者パウロが、自分自身や初代教会の人々が遭遇したさまざまの苦難、その苦難を信仰の試練として受けとめ、さらに希望を語っている箇所です。信仰を持ったら苦しいことはなくなるか?そうではないと思います。信仰を持とうが持つまいが、苦難は向こうからやってくる。パウロをはじめ初代教会の人々は、むしろ信仰を持つゆえに、多神教的な信仰に生きる周辺社会とさまざまな軋轢(あつれき)を経験し、さまざまな苦難に耐えなければなりませんでした。  たとえばフィリピ書1:29では、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです</span>。」と言っています。又、テサロニケ一 3:3では、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしたちが苦難を受けるように定められていることは、あなたがた自身がよく知っています</span>。」と言っています。パウロはそのことを教えていたわけです。これを書いたパウロは自分自身のことを、第二コリント書11章にくわしく書いています。彼は、巡回伝道者として地中海世界を巡り歩く中で、ありとあらゆる困難や苦難を体験した人でした。しかしそのたびに、神によって解決の道を与えられ、伝道者の道を歩き通した人であります。 /n今日の聖書 今日、読んでいただいたコリント一 10:13には 「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます</span>。」とあります。  この言葉はパウロ自身の伝道者としての長い経験、体験の中に裏付けられた確信でありました。 /n信仰から生まれる確信 さて、信仰を持つことによって、私達は人生の苦難を、おそらく避けることは出来ないでありましょう。しかしその苦難を、神の与えた試練として受けとめて、そこに何らかの意味を見出し、又それを乗り越える力と希望を与えるのが信仰ではないかと思います。 人間の目には解決が容易に見えないような時があります。しかしその時も、神は私達を決して見捨てない。共にいて、解決を与えて下さる。つまり、「逃れる道を必ず神は用意して下さる」。この確信が、おそらく人間に希望を与え、再び立ち上がる力を与えるのではないかと思います。 _________________________ /n参照 <コリントの信徒への手紙二 11章23節-29節>      「<span class="deco" style="font-weight:bold;">苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったこともたびたびでした。ユダヤ人から40に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上での難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずに、おり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。誰かが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。誰かがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか</span>。」