「従順と献身」     牧師 佐藤 義子

/n[詩編]78編1-8節 【マスキール。アサフの詩。】わたしの民よ、わたしの教えを聞き/わたしの口の言葉に耳を傾けよ。 わたしは口を開いて箴言を/いにしえからの言い伝えを告げよう わたしたちが聞いて悟ったこと/先祖がわたしたちに語り伝えたことを。 子孫に隠さず、後の世代に語り継ごう/主への賛美、主の御力を/主が成し遂げられた驚くべき御業を。 主はヤコブの中に定めを与え/イスラエルの中に教えを置き/それを子孫に示すように/わたしたちの先祖に命じられた。 子らが生まれ、後の世代が興るとき/彼らもそれを知り/その子らに語り継がなければならない。 子らが神に信頼をおき/神の御業を決して忘れず/その戒めを守るために 先祖のように/頑な反抗の世代とならないように/心が確かに定まらない世代/神に不忠実な霊の世代とならないように。 /n[ルカによる福音書]19章11-27節 人々がこれらのことに聞き入っているとき、イエスは更に一つのたとえを話された。エルサレムに近づいておられ、それに、人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたからである。 イエスは言われた。「ある立派な家柄の人が、王の位を受けて帰るために、遠い国へ旅立つことになった。 そこで彼は、十人の僕を呼んで十ムナの金を渡し、『わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。 しかし、国民は彼を憎んでいたので、後から使者を送り、『我々はこの人を王にいただきたくない』と言わせた。 さて、彼は王の位を受けて帰って来ると、金を渡しておいた僕を呼んで来させ、どれだけ利益を上げたかを知ろうとした。 最初の者が進み出て、『御主人様、あなたの一ムナで十ムナもうけました』と言った。 主人は言った。『良い僕だ。よくやった。お前はごく小さな事に忠実だったから、十の町の支配権を授けよう。』 二番目の者が来て、『御主人様、あなたの一ムナで五ムナ稼ぎました』と言った。主人は、『お前は五つの町を治めよ』と言った。 また、ほかの者が来て言った。『御主人様、これがあなたの一ムナです。布に包んでしまっておきました。 あなたは預けないものも取り立て、蒔かないものも刈り取られる厳しい方なので、恐ろしかったのです。』 主人は言った。『悪い僕だ。その言葉のゆえにお前を裁こう。わたしが預けなかったものも取り立て、蒔かなかったものも刈り取る厳しい人間だと知っていたのか。 ではなぜ、わたしの金を銀行に預けなかったのか。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きでそれを受け取れたのに。』 そして、そばに立っていた人々に言った。『その一ムナをこの男から取り上げて、十ムナ持っている者に与えよ。』 僕たちが、『御主人様、あの人は既に十ムナ持っています』と言うと、 主人は言った。『言っておくが、だれでも持っている人は、更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる。 ところで、わたしが王になるのを望まなかったあの敵どもを、ここに引き出して、わたしの目の前で打ち殺せ。』」 /nはじめに 今日の譬え話は、ザアカイの家に立ち寄られたイエス様が、そこに集まっていた人々に話された話であると考えられます。この話の前提として、「人々が神の国はすぐにも現れるものと思っていたから」とあります。つまり、エルサレムに向かうイエス様に従ってきた多くの群衆は、奇跡や不思議を行うイエス様こそメシアであり、メシアである以上、近い内に、自分達民族をローマの支配下から独立させて、「神の国」を実現させて下さるだろうとの期待を、イエス様に対して抱いておりました。イエス様は、彼ら達が自分達の夢と期待をふくらませて、「神の国」を勝手に頭の中でつくり上げている現実を見て、このたとえを語られました。 /nたとえ話 話は、ある立派な家柄の人が王の位を受けて帰る為に、遠い国に旅立つことから始まります。旅立つ主人は、10人の僕を呼び、1ムナずつ分け与えて、主人の不在中、このお金で商売をするように命じます。ムナはギリシャの銀貨で、100ドラクメに相当します。1ドラクメは1デナリオンと同じで1日分の賃金に当たります。ですから1ムナは、100日働くと貯められる金額です。聖書には、これに似た譬えでタラントンの譬えがありますが、1タラントンは6,000ドラクメに当たりますので、1ムナが、1タラントンに比べて、どれほど小額なお金か想像できます。やがて王の位を受けて主人が戻ってきます。そして、留守中の僕の働きについて報告させるところは、タラントンの譬えと同じです。 /nしもべの報告 最初の僕は1ムナから10ムナ儲けたと報告します。10倍です。王は喜び、褒美として10の町の支配権を与えます。最初に託した1ムナに比べると想像を越える大きな委託です。次の僕は1ムナから5ムナ儲けました。5倍です。そして3番目の僕も報告します。彼は1ムナを差し出します。預かったまま、布に包んでしまっておいた結果です。主人の家に損害を与えたわけではありません。しかし王は大変に怒りました。そして僕に、銀行に預ければ利子を受け取ることも出来たのに、と言い、この僕から1ムナを取り上げて10ムナに増やした僕に与えます。ほかの僕達が、「あの僕は、既に10ムナも持っています」と訴えますが、王は、「持っている人は更に与えられるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられる」と答えます。 /n譬えの意味 この譬えで家の主人とはイエス様のことです。「王の位を受けて帰る」とは、イエス様がこれからエルサレムで受難され十字架の死と復活の後、天に昇られ、神の右に座すという「神の栄光を受けられて」、やがて再臨と言う形で戻って来る、という長期の不在の予告です。神の国はすぐにも現れると考えていた人々に、そうではないことを予告しています。 さて、僕達に託された1ムナとは何を意味するのでしょうか。これはイエス様が与えて下さった「福音の恵み」と解釈出来ます。イエス・キリストを信じる者は、福音に対して皆同じ恵みを受け、同じ責任を受け取ります。福音そのものには、一粒のからし種のように、畑に蒔けば、やがては空の鳥が来て、枝に巣を作るほどに成長する力があるのです。 譬えの中で、主人は僕達に同じ結果を求めてはいません。5倍でも10倍でも王は同じように喜び、更に「町を支配する」という大きな課題を与えています。その上、10ムナの僕には、さらに1ムナを与える方です。 /n福音にふさわしく生きる 私達がこの譬えから学ぶことは、私達に与えられている福音の恵み・喜びを、イエス様という私達のご主人の為に、使って増やすことです。具体的には、イエス様のことを伝え、イエス様の教えに従って生きること。自分を喜ばすのではなく、イエス様に喜んでいただく生き方をしていくことではないでしょうか。イエス様の為ならば、忠実に、献身的に働くことです。イエス様が一番嫌われるのは「宝のもちぐされ」です。怠惰な生き方を避けて、福音にふさわしく生きる者となりましょう。