「自由を得させる真理」  牧師 佐藤義子

/n詩編125編 /nヨハネ福音書8:31-38 /nはじめに  今読んでいただいたヨハネ福音書の最初には、「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人達に言われた」(31節)とあります。30節に、「これらのことを語られた時、多くの人々がイエスを信じた」(30節)とあるので、それ迄イエス様のことを信じていなかったユダヤ人達が、イエス様の話を聞くうちに、イエス様を信じるようになったことがわかります。  ところがこの後、59節には、イエス様の言葉を聞いていたユダヤ人達が、手に石を持ってイエス様に投げつけようとした為、イエス様は神殿から出て行かれたことが記されています。イエス様を信じたはずのユダヤ人達が、イエス様との会話により敵対者となっていくことに驚かされます。 /n本当にイエス様の弟子になる イエス様は、「わたしの言葉にとどまるならば、あなた達は本当に私の弟子である。」(31節)と言われました。イエス様の言葉に、絶えず信頼をもってとどまるということは、イエス様から離れない。イエス様を信じ続ける。信頼し続ける。イエス様に目を向け続ける。脇見をしないことです。 具体的には、イエス様の言葉に導かれる。イエス様の言葉が私達の思いと意志を動かしていくということです。そうするならば、私達は空しい空虚な思いや、空想や、偽りと決別し、人を自由にする「真理」を知ることが出来るとイエス様は言われます。 /n「真理はあなたたちを自由にする」 ところがイエス様を信じたはずのユダヤ人は、イエス様が続いて言われた「真理はあなたたちを自由にする」と言う言葉に反発しました。つまり、自分達はもともと自由であり、誰かの奴隷になって不自由な状態になったことはないと主張したのです。それに対してイエス様は、「罪を犯す者は罪の奴隷である。」すなわち、「あなたは罪の奴隷だ」と言われたのです。 /n罪の奴隷  罪とは何でしょうか。簡単にいえば、神様への不服従(戒めを破る)です。 例えば、十戒の中に「偽証してはならない」があります。ところが人間社会では、自己弁護、自己正当化のために「うそ」が入ってきます。「うそ」をつくことは罪です。うそをつかざるを得ない状態は、鎖につながれた不自由な奴隷状態にあります。生まれながらの人間は、さまざまな欲望を持っています。そしてその欲望を満たすために、頭では悪いと知りながらコントロールがきかず、罪の奴隷となっています。    この罪の奴隷状態にある私達人間が、「真理」を知ることによって自由になれる。自由を得ることが出来るとイエス様は言われたのです。イエス様は同じヨハネ福音書で「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)と言われました。イエス様ご自身が、神様の真理を現されたのです。イエス様が語られる言葉すべてが真理です。ところがこの世には、神様の支配される世界に生きることを阻止し、そこから引き離そうとする誘惑、力が至る所に存在します。 私達が「自由」になるということは、これら真理に逆らうものすべてから解放されることです。イエス様を信じて、イエス様が教えて下さっている言葉にとどまり続けるならば、私達はこの世の伝統や風習、価値観、人の目、その他全ての束縛から解放されて、自由に生きる(神の子として生きる)ことが出来るのです。このためにイエス様は来てくださいました。 /n本当の弟子になりたい イエス様は、私達を罪の奴隷から解放して下さる為に(その鎖を切り離して下さる為に)、十字架にかかって死んで下さいました。そして三日目に復活して、死(罪)に対して勝利者となられました。 イエス様が地上で繰り返し語られたことは、神様を愛することと、私達が互いに愛し合うことです。イエス様はその見本を示されました。私達はイエス様の本当の弟子になりたいと思います。それには、御言葉にとどまることによって、真理であるイエス様を益々深く知ることであり、それによって、私達を神様から引き離す力から自由にされることです。 今週も御言葉に導かれて歩んでいきたいと祈るものです。