「神の生きた言葉」      牧師 佐藤義子

/nエレミヤ書10:10-16 /n1ペトロ1:17-25 /nはじめに  先週の日曜日、伝道所の2012年度の定期総会が開かれ、今年度の歩みの目標に四つのことを掲げました。第一に、毎週の「礼拝」を大切に守る。第二に、神様の恵みに感謝し、自分を神様にささげる献身のしるしである「献金」を大切にする。第三に、毎日の生活の中で、「御言葉」を読み、「祈る」時間を確保する。第四に、伝道所にこられた方々を「大切に迎え入れ」、会員がその方々のために何が出来るかを考えていく・・ことです。 /n礼拝を大切に守る  イザヤ書には「<span class="deco" style="font-weight:bold;">安息日を喜びの日と呼び・・これを尊ぶなら、その時、あなたは主を喜びとする。」</span>とあります(59:13-14)。 毎週日曜日に礼拝をささげられることは喜びであり、そこで私達が礼拝し賛美する神様(父・子・聖霊)は、私達にとって喜びの存在であると聖書は告げています。なぜなら私達は神様から愛されているからです。神様と私達は幼子と親の関係にあり、イエス様は私達に、祈る時は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">天におられる私達の父よ</span>」と呼び掛けて、願い求めることを教えて下さいました(マタイ6:9)。 /n動物犠牲による罪のゆるし 神様は「聖(きよい方)」であり、「義(ただしい方)」であり、完全な方であるのに対して、人間はあまりにも不完全で罪深く、神様との契約(約束)である律法も破り続けていましたから、その関係は断絶に近いものでした。イスラエルの人々は自分達が犯した罪を、牛や羊をささげることによって神様に赦しを乞いました。エルサレム神殿では毎日、人々を代表して祭司が神様に、「いけにえ」をささげていました。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">血を流すことなしには罪の赦しはありえない</span>」(ヘブライ書9:22)からです。 しかし長い間続いた、この罪の赦しの為の動物犠牲は、イエス様の死をもって終りました。それは、動物の血によっては「<span class="deco" style="font-weight:bold;">決して罪を除くことは出来ない</span>」(同10:11)からであり、イエス様が「<span class="deco" style="font-weight:bold;">ただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために</span>」(同9:26)来て下さったからです。  今日の聖書に、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなた方がむなしい生活から贖われたのは、・・きずや汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです</span>」とあります。 神様は独り子イエス様を地上に送られ、イエス様に全人類の罪を負わせ、この世の罪をあがなう為にイエス様を「いけにえ」とされました。それが十字架の死です。この死により信じる者すべての罪が赦されました。 /n恵みのわざ 歴史的に見れば、イエス様の死はユダヤ人の「ねたみ」によるものでしたが、目に見えない神様の御計画によれば、すべての人が神様との交わりを失って、絶望と罪の中に放置されていたところを、神様は御子イエス・キリストの十字架で流された尊い血潮によって罪を赦し、罪の世から人々を救い出すという「恵みのわざ」を行われました。私達が罪の支配下から、神様の恵みの世界へと救い上げられるための唯一の道は、「イエス・キリストの十字架の出来事は、私の為であった」ことを信じて、「悔い改めて神様に立ち帰る」ことです。神様を信じ、御子イエス様を信じる信仰が、私達の罪を赦し、罪から私達を解き放つのです。 /n新生 今日の聖書に、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなた方は、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生れたのです</span>」とあります。信仰が与えられたクリスチャンは、「神様の生きた言葉によって新たに生れた者」だと宣言しています。 「新生」(NEW BIRTH)は、悔い改めた後に新たに受ける信仰の経験をさす言葉です。神様に背き、この世の霊の力(迷信や、おまじないや、占いなど)に影響され、縛られていた者が、神様が下さる聖霊の働きによって、自分自身の本質的部分が全く新しくされ、古い生活と断絶し、新しく神様の命を受ける経験をすることです。神様の言葉は、人間を新しく創造し、完全に造り変える力をもつのです。 「<span class="deco" style="font-weight:bold;">御父は、御心のままに、真理の言葉によって私達を生んでくださいました</span>。」(ヤコブ書1:18) クリスチャンは、神様の生きた・真理の言葉によって生まれた者です。