「最も重要な掟についての問答」    伝道師 平賀真理子

/nホセア書6:1-6 /nマルコ福音書12:28-34 /nはじめに  イエス様のご生涯の最後の一週間の中で、「論争の火曜日」と呼ばれている日に起こった一つの出来事から、御一緒に学びたいと存じます。   イエス様への,論争に挑んだ人に対するイエス様の応答を聞いていた人々の中には、一般庶民の他にイエス様の噂を聞いてイエス様の教えやその力を自分の目で確認したいと思う「学問の先生」のような「律法学者」がいました。「律法」は、イスラエル民族が、モーセを通して神様から直接いただいたと信じる「十戒」を基本としています(律法は更に、「旧約聖書」の最初の5巻を指す場合や、「旧約聖書全体」を指すこともあります)。  イエス様の、それ迄の質問者への答えが立派だったことを見た一人の律法学者が、前に進み出てイエス様に尋ねました。 /n「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」  沢山ある律法の中で一番重要なものを教えてほしいとの質問に、イエス様は、まず申命記6章4~5節を挙げられました。それは、ユダヤ教徒が毎朝毎晩 口にする「シェマー(聞け)」から始まる御言葉で、神様を唯一の方として尊敬し、信頼し、人間が「全身全霊で愛する」ことが求められている聖書の箇所です。イエス様は、「第一の掟」に続けて更に、第二の掟、「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ記19:18)を教えられました。 /n「神様の愛=アガペー」  創世記には、神様が「世界」を創り、「人間」を創られたことが記されていますが、人間は神様に絶対的な信頼を貫くことが出来ず、又、悪の力・サタンに惑わされて神様の命令を守れず、神様の祝福を受けられなくなりました。そのような人間を切り捨てずに責任をもって救うという固い意志が「神様の愛」の特徴です。 人間の愛は、感情に基づいているので一時的であり、相手の反応次第でその度合いは変化します。一方、神様の愛は、一時的な感情に基づくことなく、長く続く意志に貫かれています。又、私達人間の反応に左右されず、御自分が愛すると決めたら、責任をもって愛し抜くご性質です。そして愛する対象に対しては100パーセント真剣で、片手間に愛する愛ではありません。 /n全身全霊で愛する  だからイエス様は、「神様を愛する」時、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい</span>」と、おっしゃっているのです。原語では、「心のすべてから、精神のすべてから、思いのすべてから、力のすべてをもって愛しなさい」です。  神様が人間を(私たちを)、そのように愛しておられることを、神の御子イエス様だけが理解しておられ、教えて下さっています。  神様に先に見出され、先に愛していただいている私達は、同じように、その憐れみに感謝して神様を愛したいと願うものです。 /n隣人を自分のように愛する 第二の掟である「<span class="deco" style="font-weight:bold;">隣人を自分のように愛する</span>」ことは、「神様の愛」によって初めて可能だといえます(神様の愛については第一コリント書13:4~7参照)。「神様の愛」は無尽蔵で、100パーセント真剣で、永続的で、主体的な愛です。この「神様の愛」を知り、私達がその恵みに満たされる時、自ずとその愛は誰か対象を求めて流れ出すでしょう。だからイエス様は、この二つを連動するものとして重要な掟として挙げられました。 /n掟を守る道  神様と私達人間が愛によってつながるためには、断絶の原因となった罪が取り除かれねばなりません。そのためにイエス様は遣わされ、神の御子として死ぬ定めにおかれました。私達人間は、自分の罪を悔い改め、イエス様を自分の贖い主と信じる信仰が与えられる時、神様とつながることが出来、最も重要な「第一と第二の掟」を守る者とされるのです。