「命の光を持つ」    牧師 佐藤義子

/n詩編98:1-9 /nヨハネ福音書8:12-20 /nはじめに 今日の聖書で、イエス様は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。</span>」(12節)と言われました。世とは、この世です。私達が生きているこの世界全体のことです。私達が生きているこの世は、明るいニュースより暗いニュースを聞くことが多く、新聞の社会欄に目を通せば、悲惨な出来事、罪深い出来事が毎日のように報道されています。いじめから自殺に至るケース、児童虐待、殺人や強盗、ストーカー事件、DVの問題、過労死の問題、原発事故による人体への影響の恐怖、家も仕事も失い生きる希望を失っている方達、又、ネット社会が生み出しているさまざまな問題、さらに世界に目を向ければ、テロの恐怖や、今、尚、死傷者が絶えないシリアでの内戦、そこから逃げる難民の問題など、私達の住むこの世は、暗く病んでいると言わざるをえません。  さらに、一見幸せそうに見える家庭の中にも、家族の思いの行き違いや、夫婦・親子・嫁・しゅうとめの関係などで悩んでいる家族が大勢おります。 /nヨハネ福音書1章1節- 「<span class="deco" style="font-weight:bold;">初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。・・・・・言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった</span>。」 ここで「言」と訳されているのは、イエス・キリストのことです。イエス様は神様の御子であられ、神様と共におられましたが、神様から遣わされて、この世にこられました。ヨハネ福音書ではイエス様のことを「光」と呼び、この世のことを「暗闇」と呼んでいます。  今日の聖書は、暗闇の、この世で生きている私達のもとに、イエス様は「光」として来て下さった。だから私達がイエス様を信じて従うならば、私達はもう暗闇の中を歩かなくてもよいばかりでなく、私達の内にも光を持つようになるというイエス様の素晴らしい約束です。 暗闇の恐ろしさ、不安を知る者にとって、光が約束され、光と共に歩くことが出来て、しかも私達自身がその光をもつことが出来るというイエス様の約束は、何と素晴らしい約束でしょう! /n信じない敵対者  ところがイエス様を信じないイエス様の敵対者達は、自分で自分のことをいっても、それは信用ならないと反論しました。そこでイエス様は、語っていることが真実である証拠として、三つのことをいわれました。一つは、御自身がどこから来てどこに行くのか知っていること(あなた達は知らない)。二つ目に、御自身は裁かないこと(あなた達は、肉に従って裁いている)。三つ目に、イエス様は上(=天)に属していること(あなた達は下(=この世)に属している)を挙げられました。 /n光のみなもと イエス様が暗闇の中に光として来られた時、その光をどこから得たのか、その源をご存知であるから、イエス様は私達を導くことがお出来になるのです。生まれながらの人間は、自分がどこから来てどこにいくのか知らないまま生きているので、闇の中を手さぐりで歩くように、どのように生きるべきか道を見つけられずに悩み、不安と恐れの中で、さ迷うのです。特に「死が恐怖である」のは、自分がどこへいくのかわからないから恐れるのです。しかし、イエス様という光を信じて従っている者は、イエス様がどこから来られてどこに帰られたかを知り、イエス様のおられるところに信じる者も招かれていることを確信しています。 /nイエス様の証人  イエス様はご自分の証言に対して、ご自分をこの世に遣わされた父なる神様も共に証言されるので、御自分の言葉は真実であると説明されました。イエス様は何をするにも語るにも、常に神様から聞き神様が望まれることを行なわれました。この光であるイエス様に従う者は、命の光をもって歩む者とされ、その結果、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制が生まれて、光の子として生きるようになるのです。