「信じる者は、死んでも生きる」  牧師 佐藤 義子 

/nイザヤ書6:8 /nヨハネ11:1-27      /nはじめに 本日(10月第一日曜日)は「世界宣教の日」です。世界で、宣教師として働かれている方々を覚えて祈り、又、その働きのために献げる日です。 かつて仙台で働かれた宣教師の方達は数えきれないほど多くおられますが、今朝は尚絅学院にかかわったお二人の宣教師について、少しお話したいと思います。尚絅学院は女子教育から始まりました。初代校長であったミス・ブゼル宣教師は建学の精神として、ペトロの手紙3:3-の言葉を選びました。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです</span>。」  ここでは、外面的な飾りで自分の価値を高め、男性の気に入ろうとしていた周囲の異教世界の女性達に目を向け、イエス様を信じる者は、彼らと同じであってはならず、未信者の夫に対しても、妻としてキリストの教えにふさわしい行動を心がけるならば、夫を回心に導くことが出来ると教えています。戦後、荒廃した日本の、女性の教育の為に献身されたブゼル宣教師は、女性が本当に目を向けるべき飾りは外面につけるものではなく、目に見えない内面にあることに気付かせながら、その使命とした伝道と教育にあたられたことを、建学の精神から伺い知ることが出来ます。 又、もう一人、ジェッシー宣教師は、1919年日曜学校を発足させて、子供の伝道に力をいれました。1941年国際情勢の悪化に伴い、やむなく帰国されたそうですが、帰国に際してのスピーチが残されています。 「皆様が信仰を堅く保って尚絅の伝統と精神とをしっかり捉えて、新しい人達に言い広めてください。私の責任を皆様にすっかりお渡し致します。その具体的な方法は、第一に日曜学校で教えること、第二に尚絅で学んだ聖書のお話を家庭で子供達に教えること、少なくとも月に一度は教会に出席してください。先生方はクリスチャン・スピリットをもって生徒を導いてください」。 この言葉を受けて、音楽の佐藤みさを先生が日曜学校を守り続け、空襲の恐怖にさらされながら、集まる最後の一人まで、子供の為に聖書を読み、聖書の話をし、讃美し、主の祈りをされました。 このような働きの結果、今の私達がいることを感謝します。現在、日本から世界に向けて多くの宣教師を送り出しています。本日特に、外国で働かれている日本人宣教師の方々を覚えて、神様の祝福を祈りましょう。  _______________________ /n私を信じる者は、死んでも生きる  本日の聖書は、ラザロの復活の出来事の前半部分です。ベタニアに住むマリアとマルタ姉妹は人を遣わして、イエス様に兄弟ラザロの病気を知らせましたが、イエス様がベタニアに向かわれたのは、その2日後でした。 ベタニアはエルサレムに近く、エルサレムにはイエス様の命をねらうユダや人がいて危険でした。弟子達の心配に対してイエス様は、「昼間は12時間ある。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。」と言われました。  神様の言葉に従い、神様の定めと命令を守る者は、神様が太陽の役割を果たして私達を守ります。イエス様は、常に神様と共に歩んでおられたので、神様の定めた時がくるまでは身に危険が及ぶことはないのです。  イエス様達がベタニアに着いた時、ラザロの死後4日がたっていました。出迎えたマルタにイエス様は、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたの兄弟は復活する</span>」「<span class="deco" style="font-weight:bold;">私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる</span>。」と言われました。    罪のために神様から遠く離れた(=魂の死)私達人間を、イエス様が、その霊によって生き返らせ、新しい命に生き始める道を開いて下さいました。イエス様が下さる「命」は「永遠の命」です。肉体的存在が崩壊した後も、イエス様と結び付いているゆえに永遠に死ぬことはありません。永遠の命は、「信仰」によって与えられ、信じる者はイエス様との命の結合関係に入ることにより「死んでも生きる」のです。