「インマヌエル(神は我々と共におられる)」牧師 佐藤義子

<span class="deco" style="font-weight:bold;"></span> /nゼカリヤ書8:16-23 /nマタイによる福音書1:18-25     /nはじめに   本日から待降節に入ります。キリスト教の暦では、救い主の誕生を待つ季節から始まります。待降節第一主日の今日、ローソクの1本に火が灯りました。これから日曜日毎に2本目、3本目にも火が灯り、4本灯りますとクリスマスを迎え、降誕節に入ります。 /n「褒(ほ)むべきかな 主のみ恵み、今日まで旅路を守りたまえり。」  これは、讃美歌534番の最初の歌詞です。今朝の礼拝は、仙台南伝道所にとって礼拝開始10周年という節目にあたる礼拝です。「伝道所の歴史」としての10周年は、日本キリスト教団の伝道所として開設されてから数えますので10年まであと1年半ありますが、ここ、佐藤博子姉の応接間で礼拝をささげるようになってから10年がたちました。週報ナンバーを見ると523回目の礼拝です。この回数を見ただけでも神様が、毎週・毎週、守り導いて下さってきたことがわかり感謝の思いを深くします。  コリント第一の手紙1:10に、「神は、(これほど大きな死の危険から)私達を救って下さったし、また救って下さるでしょう。これからも救って下さるに違いないと、私達は神に希望をかけています。」とあります。私達も同じ信仰で、これからも神様に希望をかけて歩み続けていきたいと願っています。 /n伝道メッセージ  開拓伝道で何を伝えたいかと問われるならば、「神様が、その独り子を私達に送って下さったのは、神様から離れて苦しんで生きている私達人間が、神様の守りと祝福の中で生きていくためです。神様のもとに立ち帰り、神の御子イエス様を信じて、神の国の民とされて、真理の道を共に歩んでいきましょう!」です。伝道とは、このメッセージを携えて、自分自身がそれまでの生き方から変えられた喜びと共に、聖書が示す真理の道に向かって歩ける幸いを、「あなたも御一緒に!」と呼びかけることでもあります。けれどもこの呼びかけは、人間として生きる根本的な土台の部分に光をあてることになり、簡単には呼びかけに応える人達は出てきません。しかし今日の旧約聖書に「一つの町の住民は他の町に行って言う『さあ、共に行って、主の恵みを求め、万軍の主を尋ね求めよう』言われた人は「わたしも喜んでいきます」(21節)とあり、礼拝に誘い合って行く姿が記されています。又、異邦人がユダヤ人に「あなた達と共に行かせてほしい。我々は、神があなた達と共におられると聞いたからだ。」(23節)と、神を信じる者達の言動が評判となり、一人のユダヤ人に、十人の異邦人が礼拝に共に行きたいと頼む姿が記されています。   クリスチャンの言動を通して、神様が彼らと共にいることが明らかにされた時、このような光景が生まれることを聖書は伝えているのです。 /nインマヌエル  今日の新約聖書には、マリアの婚約者であるヨセフの夢に現れた天使の言葉が記されています。天使の告知は、「『自分の民を罪から救うお方』が生まれる。そのお方は、今聖霊によってマリアの胎内に宿っている」というものでした。「罪から救うお方が生まれる」とは、罪によって出来た神様と人間との断絶関係が廃棄され、罪の赦しが人間に与えられる。その罪の赦しをもたらすお方が、マリアから生まれ出る幼子であるということです。このことはすでにイザヤ書7章で預言され「その名はインマヌエルと呼ばれる」(23節)と福音書は引用しています。「エル」は「神」、「インマヌ」は「我々と共に」、インマヌエルは「神は我々と共におられる」です。「人間が罪から救われる」とは、神様との断絶の原因である罪が赦されて、神様がいつも私達と共にいて守り、導き、支え、励まし、慰め、いつでも「インマヌエル」と告白出来る関係に入ることです。