「荒れ野の誘惑」  牧師 佐藤義子

/n申命記 8:1-10 /nマタイ福音書 4:1-11         /nはじめに     私達は毎週日曜日、礼拝をささげます。礼拝では神様を賛美し、過ぎた一週間を振り返り、感謝と共に、神様に従い得なかった罪を悔改めます。悔い改めによって私達の罪は、イエス様の十字架の死による「贖い」により、神様から赦しが与えられていることを信じています。そして神様からの御言葉(説教)を聞くことにより神様の御心を知り、御心にそった歩みをしていくように祝祷をもって再び家庭に、社会に派遣されていきます。こうして私達は、「神の民」としてふさわしく造り上げられていくのです。 /nユダヤ人の、信仰の継承  選民(神様に選ばれた民)であるユダヤ人は、神様の教えを忘れず、代代子供達にも伝え続けています。申命記には、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">今日、私が命じるこれらの言葉(律法)を心に留め、子供達に繰り返し教え、家に座っている時も道を歩く時も、寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい。更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとしてひたいに付け、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい</span>。」(6:6-9)とあります。 私達は毎週の礼拝を通して、さらには家庭で聖書を読むことを通して、少しずつでも心の中に御言葉を蓄積していくことが大切です。御言葉がたくわえられていくことにより、日々の生活の中での判断や決断の時、又、あらゆる場面で御言葉が大きな力となって、私達を教え、導いてくれます。 今朝も、与えられた御言葉に耳を傾け、信仰の継承が与えられるためにも、先ず私達自身の内に御言葉をたくわえていきたいと願うものです。 /n悪魔の誘惑  今朝の聖書は、イエス様が、悪魔から誘惑を受けられて勝利された箇所です。悪魔は存在し、目には見えませんが人々の心を神様から引き離そうと日々活動しています。旧約聖書ではヨブ記で、新約聖書では、悪魔サタンが弟子のペテロやユダの心に入ったと記されています。ヨハネの黙示録によれば、最終的にはサタンは滅ぼされますが、終末が来る迄は、この世の支配者として今も私達を神様から引き離そうと働いています。 /n第一の誘惑  イエス様が40日40夜の断食後、悪魔から、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたが神の子であるなら</span>」石をパンに変えてみよと誘惑されました。悪魔は空腹のイエス様に、神の子である証明として、空腹を満たすパンを求めました。世の人々がそれを見るならば、大勢の人々がイエス様のもとに集まって来るに違いありません。しかしイエス様は、人はパンだけではなく「<span class="deco" style="font-weight:bold;">神の口から出る一つ一つの言葉で生きる</span>」(申命記8:3)と応答されました。 パンは肉体の命を守りますが、命は肉体だけではなく「霊の命」もあるのです。この命は、神と共にある真の命であり、永遠の命でもあります。私達が困難や苦しみ、試練に会う時、御言葉が力となって励まされ、慰められ、忍耐出来るのは、「霊の命」が生かされているからなのです。 /n第二の誘惑 次に悪魔は、イエス様に、神殿の高い所から飛び降りるように誘いました。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたが神の子であるなら</span>」神の守りが必ずあることを、悪魔は聖書(詩編91篇)を引用して保証したのです。もし実証されたならば、人々もイエス様を神の子として認めるだろうとの誘惑です。イエス様は、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">神様を試してはならない</span>」(申命記6:16)と応答されました。神様は支配されるお方、従うべきお方であり、試すお方ではあり得ません。 /n第三の誘惑   最後に悪魔は、イエス様に、この世の権力・富・地位や名誉、あらゆる繁栄と引き換えに、悪魔を拝めと誘いました。これこそ悪魔そのものの正体です。イエス様は、申命記を引用して答えられました「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ</span>。」(6:13)。 神の子・イエス様は、神様からあらゆる力を頂きながらも、人間としての制約の中で生きられました。又、御自分を神の子として高めることなく、神様による以外に生きることをせず、過ぎゆくこの世の、いっさいのものに仕えることをせず、神様を真実に神様としてあがめ、神様を崇めることによってのみ神様の祝福を求める生き方を、生涯を通して私達に教えて下さいました。(フィリピ書2:6-11参照)