「真の信仰に立つ教会」  牧師 佐藤義子

/n詩編 86:5-10 /nマタイ福音書 16:13-28           /nはじめに     私達の教会は「仙台南伝道所」です。教団では、「会員」が20名以上で、「牧師を招聘する力」(牧師の生活を支えられる力)を持っている教会を「教会」と呼び、まだそこまでいかない小さな群れを「伝道所」と呼んでいます。私達の伝道所も近い将来には「教会」へと成長していかれるように祈っておりますが、しかし、規模の大きさを別にするならば、教会も、伝道所も、そこでなされている事柄は全く同じです。 では、教会とは何でしょうか。 /n二つの質問  今日の聖書では、イエス様は弟子達に二つの質問をされています。一つは、人々はイエス様のことを何と言っているかという問いです。もう一つは、「あなた方はわたしを何者だというのか。」との問いです。 最初の問いに対して、弟子達は、ある人は「洗礼者ヨハネの生まれ変わり」、ある人は「預言者エリヤ」・「預言者エレミヤ」の再到来と言い、又、ある人は「預言者の一人」と言う人もいる、と報告しました。 /n「あなた方はわたしを何者だというのか」  この質問に対して、ペトロは即答しました。「あなたはメシア・生ける神の子です」。 メシアとは「救い主」という意味です。イスラエルの人々は、預言者達(BC700年代にはイザヤやミカ、同500年代には第二イザヤ等)によって「メシアが来られる」との信仰をもち続けており、彼らは、その信仰を親から子へ、孫へと伝え続けました。そして遂に、預言者達の言葉が成就し、救い主イエス様が誕生され、今や、人々の間で神の国について教え始められたというのに、人々はイエス様をメシアとしては受け入れていなかったのです。おそらく多くの人々は、「メシアは自分達を、日々の苦しい生活から解放してくれる、この世の権力を持った王のような人物」として期待し、待望していたようです。しかしペトロは、イエス様こそ、長い間イスラエル民族が待ち望んだ「メシア」であると告白したのです。 /n「<span class="deco" style="font-weight:bold;">このことを現わしたのは、人間ではなく、天の父である</span>」  このペトロの信仰告白に、イエス様は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたは幸いである</span>」と祝福され、さらにこの告白は、人間の判断によるものではなく、天におられる父のわざであることを教えられました。そしてシモンと呼ばれていた彼に、「ペトロ(岩)」という新しい名前をつけられ、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる</span>」(16節)と言われたのです。 /n教会はイエス様が建てられる  すべての教会は、この信仰を告白した使徒ペトロの岩の上に、イエス様が建てられたものです。教会はイエス様を頭(かしら)として、一人一人がキリストの体の一部として構成されています。体が多くの部分から成り立っているように、教会にも多くの働きがあって、一人一人がそれぞれの賜物に応じて、分に応じて、担っていくように神様から召されているのです。教会の原語は「エクレシア」で、召された者、選ばれた者という意味があります。神様が多くの人々の中から私達一人一人を選んで、教会に導いて下さいました。教会は、「神の教会」とも呼ばれます。 /n使徒ペトロの岩=信仰告白=使徒信条  教会は、聖書と説教を通して、イエス様の十字架の意味と、復活の出来事を信じ、さらに、イエス様は今は天の神様の右におられます。私達は、神様とイエス様が送ってくださる聖霊の導きの中で、神様とイエス様と共に歩むことが出来ます。そして、再びイエス様が来られる「再臨の希望」を与えられています。ペトロは、イエス様の言葉を持ち運び、教会を、キリストの下にあって、しっかり支えるということです。 /n教会の権威  教会は人間の権威ではなく、「イエス様の権威」が打ち立てられているべき場所です。イエス様が私達のまことの御主人として教会を支配して下さることで「教会」になります。教会は、御言葉が正しく宣べ伝えられ、聖礼典(聖餐式と洗礼式)が正しく行われてはじめて「教会」「伝道所」と呼ばれ、信仰告白によって私達はその一員に加えられていきます。