「世の終りまで共にいる主」  牧師 佐藤義子

/n詩編16:5-11 /nマタイ28:1-20     /nはじめに  私達は先週の日曜日、イースター礼拝において、聖書から、イエス様の復活は、神様の業であることを学びました。イエス様が十字架て死なれたことは、神様の救いの御計画の中で避けて通ることの出来ない出来事でした。なぜなら私達が神様から罪を赦していただくためには、罪のない方の犠牲の血が流されなければならなかったからです。このことは、神様が私達を愛して下さるゆえの救いの御計画ですから、その結末がイエス様の十字架の死で終ることはあり得ないことでした。神様は命と死を支配されるお方です。それゆえ神様は、イエス様の死を滅ぼして甦らせたのでした。 /nうその噂 今日の聖書には、イエス様の復活の出来事と、その後の祭司長達の行動、そしてイエス様の、地上での最後の御命令が記されています。  イエス様の遺体を置いていた墓が空になったことを見届けた番兵達は、この事実を、エルサレムの祭司長達にありのままに報告しました。その結果、祭司長達はは、このことが外部に流れたならば民衆達が騒ぎだし、神の子を十字架につけたと、自分達に責任を追及してくるかもしれず、又、復活を否定した自分達への信頼も失墜することから、彼らが考えたことは、うそ・偽りのうわさを流すことでした。彼らは、墓がからになったのは、番兵達が眠っている間に弟子達が遺体を盗んだからだと番兵達に言わせることにして、その報酬に多額のお金を与えました。さらに、番兵達の責任問題については、自分達が総督に説得し、罰がおりないようにすると約束したのです。こうして兵士達は、言われるままに嘘の証言を広めました。 こうして祭司長達は、最後まで神様に逆らう道を歩み続けたのでした。 この嘘の噂により、弟子達の福音伝道は大きな痛手を受けたことでしょう。 しかしどのような妨害があろうとも、キリストの十字架と復活の出来事は、復活の証人達によって伝えられ、その結果教会が生まれ、十字架と復活の証言は、全世界の教会を通して、今もなお、伝え続けられていることは、私達が良く知っているところです。 /nイエス様の、最後の御命令  さて、11人の弟子達は、復活されたイエス様に会う為に、イエス様が指示されたガリラヤの山に登りました。そこで復活のイエス様を、神として、礼拝されるにふさわしい方として拝みました。イエス様は、弟子達のそばに近寄り、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」</span>と言われました。これは、イエス様が、天上と地上におけるすべての権限を神様から与えられたということです。なぜならイエス様が十字架の死に至るまで、神様に忠実に服従されたからです。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">だから、あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。</span>」と命じられました。 イエス様が天上でも地上でも、すべての者の主であるならば、すべての者は、イエス様に服従して、イエス様から学ぶべきなのです。 弟子達の使命は、世界の人々をキリストの弟子とすることでした。 それに伴い、「父と子と聖霊の名によってバプテスマを授ける」ことと、「イエス様の戒めを教えて、それを守らせること」を命じられました。  このイエス様の最後の御命令には、約束が伴っておりました。それは、イエス様は「世の終りまで、いつも、共にいて下さる」という約束です。これは大きな約束です。イエス様は、全生涯をつらぬいて、いつも私達と共にいて、助け守って下さるという約束を下さったのです。かつてイエス様は、「あなた方は世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と言われました。  私達は苦難に打ち勝ち、死に勝利して復活され、神様から全権・委任された権威をもっておられるイエス様の弟子として、歩むことが出来る幸いを思います。これからも、世の終りまで、共にいて下さる主と共に歩み、困難に立ち向かい、イエス様から与えられている伝道の使命を、少しでも担える者として、造り上げられていきたいと願うものです。