「思い悩むな」 牧師 佐藤義子

/n箴言 30:7-9 /nマタイによる福音書 6:25-34 /nはじめに  今日の聖書は、山上の説教の中でも良く知られている箇所です。この中でイエス様は、天地創造主である神様を、「あなたがたの天の父」と呼んでいます。私達の信じる神様は、地上における肉親の父とは区別された、天におられる父・私達の全生涯における保護者・身元引き受け保証人です。 /n天の父  私達の天の父は、天地万物を造られ、太陽と月と星、空には鳥、陸には植物と動物、海には魚を造られ、最後に私達人間を造られたことが創世記に記されています。天の父は、すべてのものに命を与え、生かし、支配しておられます。多くの人達は「命は人間が造り出す」と考えていますが、もし人間が人間を造り出すことが出来るなら、子供が与えられない夫婦も、中絶する夫婦もいなくなるはずです。ところが現実はそうでありません。又、自分の命を自由に延ばしたり縮めたりすることは出来ません。それらすべてを考えますと、命を支配しているのは人間ではないことがよくわかります。命を与え、又、取り去るお方は、命の支配者である天におられる私達の父であることを、イエス様は聖書を通して私達に教えます。 /n思い悩むな  食べることや着ることは、私達にとって生活上、不可欠です。しかしイエス様は、それらについて「思い悩むな」と命じます。命がなければ食物は必要なく、体がなければ体をおおう着物も必要ありません。命と体が、食物や衣服よりも大切であることを示されたイエス様は、その命と体がどこからきたかを教えます。空の鳥を見れば、神様が鳥達の食物を配慮しておられるのを知ります。私達人間は、神様に似せて造られた存在です。鳥より価値のある人間に、神様が配慮しないことなどあり得ません。命を与えた方は、命に必要なものをご存知だからです。さらにイエス様は、「野の花を見よ」と言われます。野の花は自分から何かをするわけでなく、咲いても、その命は短く、やがては枯れて焼かれます。 しかし「花」は、人間の、きらびやかな衣服をもってしても、比べ物にならないほど天の父が着飾って下さっています。まして野の花より価値ある人間に対して天の父は、体に必要な衣服をも備えて下さるお方です。 /n衣食は異邦人が求めているもの 異邦人とは、神様を知らず、信ぜず、自分の力だけで生きていけるとする人達です。私達が衣食のことで思い悩むなら、天の父をもたない異邦人と同じだとイエス様は言われます。「思い悩む・思い煩う」とは、生活のことであちこちに心が向いて、喜びも感謝もない不安と心配に心を向けるという意味があります。衣食の悩みは、天の父のみわざについて悩むことであり、それは神様に期待しない、頼らないということです。 /n新しい生き方 天の父は、信じる者すべての全生涯にわたる保護者です。思い悩む者にイエス様は「信仰の薄い者達よ」と嘆かれます。イエス様は思い悩みから解放される道を示します。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものはみな加えて与えられる</span>」。(33節) 神の国とは神様が支配される国のことです。悪が滅ぼされる国です。私達は悪を憎み、嘘・偽りを私達のまわりから追い出しましょう。憎しみや敵意、裁きあうことを捨て、神の国にふさわしく、互いに愛し合い、許し合い、互いに重荷を負い合いましょう。更に、先週学んだように、愛の性質(<span class="deco" style="font-weight:bold;">忍耐深く、ねたまず、自慢せず、高ぶらず、礼儀を失わず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かず、不義を喜ばず、真実を喜ぶ</span>)を神様からいただきましょう。御霊の結ぶ実(愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制)が私達にも与えられるように、御言葉と聖霊の導きに従って歩みましょう。イエス様はさらに「神の義」も求めるように命じます。神の義とは、神様の目から見て「良し」とされることです。神様の御心にかなう正義と公平の実現です。私達はそれぞれに与えられている賜物と力を、生活の思い悩みで浪費するのではなく、神様が下さるものだけを日々受けて、喜びと感謝の生活が奪われないよう、今週の歩みを、祈りつつ歩んでいきたいと願うものです。