「異邦人の救い主」  牧師 平賀真理子

/n詩編67:2-8 /nマタイ福音書2:1-12            /nはじめに  イエス様ご降誕直後の最初の礼拝者は、ユダヤ社会で低く見られていた羊飼い(ルカ福音書)と、ユダヤ人達が「異邦人」とさげすんでいた外国人(東方の占星術の学者)です(マタイ福音書)。主イエス様は、特に社会で虐げられた人々の救い主として、又、神様の約束から外れていた異邦人の救い主としてこの世に来られたというメッセージを、ここから聞くことが出来ます。 /nご降誕の時期と場所  マタイ福音書によれば、ご降誕はヘロデ王の治世(在位BC37年-BC4年)の時、場所はユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムは、かつて栄えたイスラエル王国のダビデ王の故郷の町です。東方から来たとは、恐らくアラビア半島か更に東のペルシャをさします。占星術の学者達は当時、天文や気象などを科学的に分析して農業などの生産を支える役割も担っていました。  現在、降誕時期はBC7年-4年、降誕日を12月25日と設定したのは、ローマ帝国がキリスト教を国教とする為に、既存の太陽の祭りと融合させて人為的に決めたようです。すなわち大事な救い主の生まれた時も場所も、実は人間には詳しくは明かされていない。この世における大事な出来事は神様の主権のもとにあり、人間には、おおいがかかったように秘められているということです。私達人間は、ただ神様が示して下さる出来事を注意深く観察し、御心を推し量りつつ行動することしか赦されていないのではないでしょうか。 /n占星術の学者達  学者達は自分の研究の結果、その星が救い主誕生のサインとわかるや否や、自分達の活動をやめて救い主を拝みに行きました。それは神様にとって大事なことであり、神様はそのような者を守って下さいます。  学者達は、ユダヤ教指導者達からの情報を得て、救い主誕生の地ベツレヘムへの道を辿り、星の導きを得ます。彼らがその星の動きを信じた結果、幼子イエス様に辿りつきました。神様の助けに支えられて真理への探究心と救い主を拝みたいとの信仰の結合によって、彼らの望みはかなえられました。御心に適う願いは神様がかなえて下さいます。 /n王と人々は不安を抱いた  一方、「ユダヤの新しい王の誕生」との、外国人(占星術の学者)からの情報は、今の王がその座を追われることを意味します。王とその一族だけでなく王を受け入れて生きている都の人々が、近い将来、不穏な戦いを予想して不安を抱きました。昔ではバビロン捕囚、近くでは「マカバイ戦争」(独立戦争)での経験を思い起こし、現政権が倒れることは命の危険をも予感する、あってほしくない出来事でした。 /n生きて働かれる神様の御業を感知する 神なき人間の世界は悲惨なものです。自分を愛して支配して下さる神様の存在を知らなければ、多くの人間は甘い誘惑に弱く、自分だけが楽しめれば周りの人は関係ない!で済まそうとします。これこそが罪の本性です。逃れられないその罪の状態から人間を救い出す為に、イエス様は神様から使命を託され、その罪の贖いが後の「主の十字架」です。ユダヤ人は救い主について聖書(ミカ書5:1)で知らされていましたが、ユダヤ教指導者達は、この救い主出現が自分の時代に起こると思っていなかったようです。神様の「その時」が彼らの「今」でした。   私達は主の招きにより福音を知らされ、御言葉を知らされています。生きて働く神様が、今私達にも実際にライブで働きかけて下さっていて、聖霊によってそれが起こっていることを全身全霊で感知することが求められています。御言葉を学びつつ、神様を本当に求める信仰者が集まり、捧げる礼拝の中でこそ、神様の御業を知り、感じることができるのです。  神様の御心は、罪の虜(とりこ)になった人間全体の救いであり続けていることを異邦人である私達は、この降誕節に神様の恵みに対して感謝の思いを深め、礼拝でも更に大きく賛美していきたいと願います。 /n詩編67:2-8 /nマタイ福音書2:1-12            /nはじめに  イエス様ご降誕直後の最初の礼拝者は、ユダヤ社会で低く見られていた羊飼い(ルカ福音書)と、ユダヤ人達が「異邦人」とさげすんでいた外国人(東方の占星術の学者)です(マタイ福音書)。主イエス様は、特に社会で虐げられた人々の救い主として、又、神様の約束から外れていた異邦人の救い主としてこの世に来られたというメッセージを、ここから聞くことが出来ます。 /nご降誕の時期と場所  マタイ福音書によれば、ご降誕はヘロデ王の治世(在位BC37年-BC4年)の時、場所はユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムは、かつて栄えたイスラエル王国のダビデ王の故郷の町です。東方から来たとは、恐らくアラビア半島か更に東のペルシャをさします。占星術の学者達は当時、天文や気象などを科学的に分析して農業などの生産を支える役割も担っていました。  現在、降誕時期はBC7年-4年、降誕日を12月25日と設定したのは、ローマ帝国がキリスト教を国教とする為に、既存の太陽の祭りと融合させて人為的に決めたようです。すなわち大事な救い主の生まれた時も場所も、実は人間には詳しくは明かされていない。この世における大事な出来事は神様の主権のもとにあり、人間には、おおいがかかったように秘められているということです。私達人間は、ただ神様が示して下さる出来事を注意深く観察し、御心を推し量りつつ行動することしか赦されていないのではないでしょうか。 /n占星術の学者達  学者達は自分の研究の結果、その星が救い主誕生のサインとわかるや否や、自分達の活動をやめて救い主を拝みに行きました。それは神様にとって大事なことであり、神様はそのような者を守って下さいます。  学者達は、ユダヤ教指導者達からの情報を得て、救い主誕生の地ベツレヘムへの道を辿り、星の導きを得ます。彼らがその星の動きを信じた結果、幼子イエス様に辿りつきました。神様の助けに支えられて真理への探究心と救い主を拝みたいとの信仰の結合によって、彼らの望みはかなえられました。御心に適う願いは神様がかなえて下さいます。 /n王と人々は不安を抱いた  一方、「ユダヤの新しい王の誕生」との、外国人(占星術の学者)からの情報は、今の王がその座を追われることを意味します。王とその一族だけでなく王を受け入れて生きている都の人々が、近い将来、不穏な戦いを予想して不安を抱きました。昔ではバビロン捕囚、近くでは「マカバイ戦争」(独立戦争)での経験を思い起こし、現政権が倒れることは命の危険をも予感する、あってほしくない出来事でした。 /n生きて働かれる神様の御業を感知する 神なき人間の世界は悲惨なものです。自分を愛して支配して下さる神様の存在を知らなければ、多くの人間は甘い誘惑に弱く、自分だけが楽しめれば周りの人は関係ない!で済まそうとします。これこそが罪の本性です。逃れられないその罪の状態から人間を救い出す為に、イエス様は神様から使命を託され、その罪の贖いが後の「主の十字架」です。ユダヤ人は救い主について聖書(ミカ書5:1)で知らされていましたが、ユダヤ教指導者達は、この救い主出現が自分の時代に起こると思っていなかったようです。神様の「その時」が彼らの「今」でした。   私達は主の招きにより福音を知らされ、御言葉を知らされています。生きて働く神様が、今私達にも実際にライブで働きかけて下さっていて、聖霊によってそれが起こっていることを全身全霊で感知することが求められています。御言葉を学びつつ、神様を本当に求める信仰者が集まり、捧げる礼拝の中でこそ、神様の御業を知り、感じることができるのです。  神様の御心は、罪の虜(とりこ)になった人間全体の救いであり続けていることを異邦人である私達は、この降誕節に神様の恵みに対して感謝の思いを深め、礼拝でも更に大きく賛美していきたいと願います。 /n詩編67:2-8 /nマタイ福音書2:1-12            /nはじめに  イエス様ご降誕直後の最初の礼拝者は、ユダヤ社会で低く見られていた羊飼い(ルカ福音書)と、ユダヤ人達が「異邦人」とさげすんでいた外国人(東方の占星術の学者)です(マタイ福音書)。主イエス様は、特に社会で虐げられた人々の救い主として、又、神様の約束から外れていた異邦人の救い主としてこの世に来られたというメッセージを、ここから聞くことが出来ます。 /nご降誕の時期と場所  マタイ福音書によれば、ご降誕はヘロデ王の治世(在位BC37年-BC4年)の時、場所はユダヤのベツレヘムです。ベツレヘムは、かつて栄えたイスラエル王国のダビデ王の故郷の町です。東方から来たとは、恐らくアラビア半島か更に東のペルシャをさします。占星術の学者達は当時、天文や気象などを科学的に分析して農業などの生産を支える役割も担っていました。  現在、降誕時期はBC7年-4年、降誕日を12月25日と設定したのは、ローマ帝国がキリスト教を国教とする為に、既存の太陽の祭りと融合させて人為的に決めたようです。すなわち大事な救い主の生まれた時も場所も、実は人間には詳しくは明かされていない。この世における大事な出来事は神様の主権のもとにあり、人間には、おおいがかかったように秘められているということです。私達人間は、ただ神様が示して下さる出来事を注意深く観察し、御心を推し量りつつ行動することしか赦されていないのではないでしょうか。 /n占星術の学者達  学者達は自分の研究の結果、その星が救い主誕生のサインとわかるや否や、自分達の活動をやめて救い主を拝みに行きました。それは神様にとって大事なことであり、神様はそのような者を守って下さいます。  学者達は、ユダヤ教指導者達からの情報を得て、救い主誕生の地ベツレヘムへの道を辿り、星の導きを得ます。彼らがその星の動きを信じた結果、幼子イエス様に辿りつきました。神様の助けに支えられて真理への探究心と救い主を拝みたいとの信仰の結合によって、彼らの望みはかなえられました。御心に適う願いは神様がかなえて下さいます。 /n王と人々は不安を抱いた  一方、「ユダヤの新しい王の誕生」との、外国人(占星術の学者)からの情報は、今の王がその座を追われることを意味します。王とその一族だけでなく王を受け入れて生きている都の人々が、近い将来、不穏な戦いを予想して不安を抱きました。昔ではバビロン捕囚、近くでは「マカバイ戦争」(独立戦争)での経験を思い起こし、現政権が倒れることは命の危険をも予感する、あってほしくない出来事でした。 /n生きて働かれる神様の御業を感知する 神なき人間の世界は悲惨なものです。自分を愛して支配して下さる神様の存在を知らなければ、多くの人間は甘い誘惑に弱く、自分だけが楽しめれば周りの人は関係ない!で済まそうとします。これこそが罪の本性です。逃れられないその罪の状態から人間を救い出す為に、イエス様は神様から使命を託され、その罪の贖いが後の「主の十字架」です。ユダヤ人は救い主について聖書(ミカ書5:1)で知らされていましたが、ユダヤ教指導者達は、この救い主出現が自分の時代に起こると思っていなかったようです。神様の「その時」が彼らの「今」でした。   私達は主の招きにより福音を知らされ、御言葉を知らされています。生きて働く神様が、今私達にも実際にライブで働きかけて下さっていて、聖霊によってそれが起こっていることを全身全霊で感知することが求められています。御言葉を学びつつ、神様を本当に求める信仰者が集まり、捧げる礼拝の中でこそ、神様の御業を知り、感じることができるのです。  神様の御心は、罪の虜(とりこ)になった人間全体の救いであり続けていることを異邦人である私達は、この降誕節に神様の恵みに対して感謝の思いを深め、礼拝でも更に大きく賛美していきたいと願います。