「命と幸いを選ぶ」 牧師 佐藤義子

/n申命記30:11-20 /nペトロの手紙一 1:3-9     /nはじめに  今日の聖書は、イエス様の弟子ペトロが小アジアのキリスト教会にいるクリスチャンに宛てた手紙です。ペトロは手紙の初めで、クリスチャンのことをこう表現しています。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、『霊』によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、またその血を注ぎかけていただくために選ばれたのです</span>。」  /n血を注ぐ 旧約の時代、人間が犯した罪を神様から赦していただくために、律法に従い、大祭司が人間の代表として、毎日、神殿に動物をいけにえとして捧げ、その血を祭壇に注ぐことが行われていました。しかし神様は、このような形で「罪の赦し」を与えることを終らせて、愛する独り子イエス様をこの世に遣わされました。そして罪を犯されなかったイエス様の、十字架で流された血が、罪をあがなう(贖罪(しょくざい)血となりました。 言い換えれば、動物の血ではなくイエス様の血が、私達の罪を赦していただく「代価」となりました。この一度限りのイエス様の犠牲によりイエス様を神の子と信じるすべての者に「罪の赦し」の道が開かれました。 ヘブライ書にこう記されています。「<span class="deco" style="font-weight:bold;">イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。・・この方は、ほかの大祭司たちのように、まず自分の罪の為、次に民の罪のために毎日いけにえを献げる必要はありません。というのは、このいけにえはただ一度、御自身を献げることによって、成し遂げられたからです。</span>」(7:24-27)。 クリスチャンは、信仰によって、神様から罪を赦していただいた者です。 /nクリスチャンは新しく生れさせていただいた者  今日の聖書に「<span class="deco" style="font-weight:bold;">神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生れさせ</span>」(1:3)とあります。クリスチャンは、「罪」によって神様から分離されていましたが、イエス様の血によって罪が赦されて神の子とされたことを信じた時、「復活の命」が与えられて新しく生まれさせていただきました。 イエス様を死から甦らせ、復活の命を与えた神様は、その同じ復活の命を私達にも与えてくださり、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">天にたくわえられている財産の相続人</span>」(1:4)とされました。目に見える財産は過ぎゆくものです。そのことを私達は今回の大震災で、はっきりわかりました。それに対して天の国の財産は、「朽ちず、汚れず、しぼまない」財産(同)で、永遠に傷つくことはありません。 /n生き生きとした希望 復活の命をいただいて新たに生まれたクリスチャンには、生き生きとした希望が与えられています(3節)。その希望とは終末に準備されている救いの完成です。その準備された救いを受けるために、私達は、自分の努力や行為によるのではなくて、「神の力により、信仰によって守られています。」ので、心から喜ぶことができるのです。 /n心からの喜び 愛は喜びをつくります。信仰は、神様が私の為にイエス様を遣わして下さったことを確信し、自分の為ではなくイエス様を信じて従っていく生涯へと変えられていき、イエス様に仕えることが喜びとなっていきます。自分を愛し自分の為に生きる者は、自分に出会うものの中に幸せを見出しますから、困難が襲いかかると不幸になります。しかしイエス様を愛する者は、神様の意志(御心)が成ることを求め、神様の栄光が輝くことを求めていくことの中で、大いなる喜びが与えられるのです。それゆえに、今、目の前にある困難や苦しみという試練は、火で精錬される金よりもはるかに尊い信仰によって、終末に与えられる天の財産(称賛と光栄と誉れ)を受け継ぐ希望と喜びに変えられます。私達を深く傷つけたり激しい痛みを与えるような出来事さえも、神様の御支配のもとに置かれており、苦難は空しくは私達を襲うことはありません。 /n「<span class="deco" style="font-weight:bold;">あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟を守るならば、あなたは命を得、祝福される</span>」(申命記30:16) この御言葉に続く言葉は「<span class="deco" style="font-weight:bold;">聞き従わなければ、必ず滅びる</span>」(同17-18)です。 私達は復活の命をいただいて、命と幸いの道を歩み続けます。