「主に依り頼み、強くなりなさい」  牧師 佐藤義子

/nエレミヤ書2:1-13 /nエフェソ書6:10-20   /nはじめに 私達は、世界をつくり、私達に命を与え、私達を日々生かして下さっている神様から毎週の礼拝に招かれてここにいます。本来私達はこのような恵みにあずかることの出来ない者たちです。なぜなら私達は自分を見ればわかるように、神様の愛・神様の正義・神様の聖(きよ)さに程遠いからです。そのような私達を、神様に近づけてくださったのがイエス様です。 /n十字架による「罪の赦し」と「神様との和解」 神様と私達を遠く隔てていた「私達人間の罪」を赦し、断絶していた神様と私達人間との交わりを回復する為に、神様は、御子イエス様を私達に遣わして下さいました。イエス様は全人類の罪を背負い、私達が負わねばならない罪の結果としての罰を引き受け、十字架で血を流されました。それによって私達には神様との和解が与えられ、神様を賛美し、祈り、神様の御言葉を聞き、神様と親しく交わる恵みの時が与えられていることは、本当に幸せなことです。今や信じる者は誰でも、「罪が支配するこの世界」から引き上げられ、「神様の支配する世界」に移されています。 /n罪が支配するこの世 今、私は「罪が支配するこの世界」と申しました。毎日流れてくるニュースには、「何でこのようなことが」と思える事件・事故が次々と起こり、犯罪・戦争・憎しみや恨みから生まれる暴力や殺人などが横行しています。本来助け合うべき家族の中にも亀裂が生じ、子供達は傷つき、社会も愛が不足し、さらには良いこと正しいことが社会に受け入れられない現実も多く存在し、教会も又、社会から攻撃を受けてきました。このような世界を動かしている力を、聖書は、「支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊」と呼んでいます。つまり私達が住んでいるこの世界には、目に見えない力が働いており、私達人間を支配しているのです。そして人間は、知らず知らずの内に闇の力に引き込まれて生きています。神様に従って生きていく私達は、攻撃してくる相手に対して、相手だけに目をとめるのではなく、その人達を背後で動かしている闇の支配者の存在を意識しなければなりません。しかし敵は強く、戦う武具がなければ私達は簡単に負けてしまい、敵側の捕虜となり、イエス様の十字架で流された血は全く空しくなってしまいます。 /n戦うための武具 そこで今日の聖書は、やみの支配者と戦う武具を、神様は私達のために用意して下さっていることを教えています。ここには<span class="deco" style="font-weight:bold;">、『真理』『正義』『平和の福音』」『信仰』『救い』『霊すなわち神の言葉』</span>が挙げられています。真理も正義も、人間が理論的に捉えることは出来ません。神様が定められ、神様が人間にあらわされるもので、信仰者の性質ではなくて、信仰者がそれにつかまることのできる「標識」であり、神様の武具です。履物を履いて相手に向かう目的は、「平和の福音を告げる」ことです。又、敵から飛んでくる火のついた矢を消し去るのが「信仰」、攻撃用の剣に譬えられるのが「聖霊」です。今日の聖書では、「<span class="deco" style="font-weight:bold;">霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい</span>」とありました。聖霊が降る時、それは神の言葉(聖書の御言葉)となって私達を突き動かすということでしょう。 /n「どのような時にも、霊に助けられて祈り」 今日の後半では、「どのような時にも」祈ること、すべての信仰者の為に、絶えず目を覚まして根気よく祈るように命じています。更に、手紙の差出人パウロが、適切な言葉で福音の神秘を大胆に示すことが出来るように祈って欲しいと頼んでいます。信仰の戦いは祈りなくしては継続困難です。闇の支配者が私達の信仰を打ち落そうとあの手この手で攻撃をしかけてくるからです。先ずは礼拝生活を大切にしましょう。そして、日々御言葉を読み、御言葉を蓄え、自分の為、同じ信仰者の為、そして福音宣教の担い手の為に祈り、神様への信頼が揺るぎのないものとして確立し、神様の偉大な力によって強くされていきましょう。