3月6日の説教要旨 「主の母、兄弟」 牧師  平賀真理子

詩編112:1-10 ルカ福音書8:19-21

 はじめに

イエス様の周りには、いつも多くの人がいました。そのお話が、それまでのユダや教の教師達とは全く異なって、権威があり、かつ、素晴らしかったのです。それだけでなく、病人等の癒しの御業によって、イエス様は神様の力がこの世の力をしのぐものであると、明らかに示してくださいました。イエス様の御許に来た人々は、イエス様に出会い、神様の素晴らしさを実感し、神様を讃美する者に変えられました。逆の見方をすると、それまでに権威を持っていたユダヤ教では救われない人が多くいたと言えると思います。

 当時のユダヤ教の問題点とイエス様の新しい教え

当時の社会で大事にされていたのは、ユダヤ教の教えと血縁(血のつながり)でした。当時のユダヤ教は、律法を守ることが第一でした。最も大事にすべき神様のことを伝えようとは努めていなかったし、困っている人を助けようともしない状態でした。神様によって自分達は神の民として選ばれたのだから、その血筋を受け継いで、律法を守っていれば、神様に喜ばれると慢心していました。一方、イエス様の教えは、「あなたの神である主を愛しなさい。自分と同じように隣人を愛しなさい。」に代表されるように、悔い改めて自ら神様を求める心と、周りの人を助けて生きる喜びを人々に思い起こさせ、当時のユダヤ教の形式重視で表面的な教えを革新するものでした。だから、多くの人が引き付けられました。

 「群衆」と「主の母、兄弟たち」

当時の常識としては、大事にされるべき、イエス様の血縁の「家族」が、今日の箇所では、イエス様との間を群衆に阻まれ、遠くに置かれ、直接話すことができませんでした。間に人が入って伝言がなされ、「家族」が近くに居ることを知ったものの、イエス様は会いにいくことはせず、まず、自分に従っている群衆の方を大事にしている旨の答えをなさっています。イエス様の新しい教え、神の国の福音では、当時大事にされていた血縁の家族が最優先ではなく、「キリストに結ばれて、新しく創造された者」(Ⅱコリント5:17)達からなる「神の家族」が最優先されるのです。

 主の母マリアと主の兄弟ヤコブ

主の母マリアも兄弟たちも、神様によって血縁の家族として選ばれた人々でしょう。しかし、「神の御子・救い主」イエス様にとって、それは最大の価値ではありません。「御言葉を聞いて従う」ということにおいて、改めて「神の家族」とされることが必要です。母マリアは、イエス様が生まれる前の受胎告知で「お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1:38)という模範的な信仰を示した人です。「種を蒔く人」のたとえの表現を借りるなら、信仰において「良い土地」の状態だと言えるでしょう。その上で、イエス様の宣教活動の場に来て、初めて「神の御子・救い主」としてのイエス様の御言葉を聞き、「神の言葉」の種が母マリアの心にきっと根づいたと思われます。自分の息子という価値から「神の御子・救い主」という価値に置き換えられたのです。主の兄弟たちの心にも同じことが起こったと思われます。特に、その一人は「主の兄弟ヤコブ」と呼ばれて、イエス様亡き後に初代教会のリーダーとして活躍しました。ヤコブも、肉親の兄としてではなくて「神の御子・救い主」としてのイエス様に、この時出会い、御言葉を心に蒔かれ、信仰者となるように導かれたのでしょう。他の福音書によれば、主の母と兄弟たちは、この時は、イエス様の福音活動に反対していたようです。けれども、ルカによる福音書の続編というべき「使徒言行録」1章には、全く逆に、イエス様を信じる群れの中に名前が挙がっています。主の肉親も、神の言葉を聞いて行う人に変えられて「神の家族」となる恵みを受けたのです。

 「神の言葉を聞いて行う」

ルカによる福音書には「種を蒔く人のたとえ」「ともし火のたとえ」「イエスの母と兄弟たち」が続けて書かれています。神の言葉をよく聞き、それに従って行動することは忍耐が必要だが、その忍耐に勝る、神様からの豊かな祝福を得られると述べられています。イエス様と家族としてつながるために重要なのは、神の言葉に聞き従うことだとはっきり示されています。同じ内容を記した、他の福音書では「主の母、兄弟たちとは、神の御心を行う人である」とあります。「神の御心を知る」には、特別な霊的な能力が必要だと錯覚しがちですが、そうではありません。イエス様は「神の言葉を聞いて行う」のが大事だと語りかけてくださっています。私達は神の言葉を聞くことを最優先し、学び、行動していきましょう。

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