12月24日の説教要旨 「救い主の御降誕」 牧師 平賀真理子

イザヤ書9:5-6 ルカ福音書2:8-20
*はじめに
クリスマスおめでとうございます。教会のクリスマス礼拝にお越しくださる方々は12月25日が「イエス・キリストの誕生日」とされており、教会ではそれ以前の近い日曜日にクリスマス礼拝を献げるのだと知っておられることと存じます。クリスマスはイエス様のお誕生日が起源なのですが、クリスチャンの少ない日本では、サンタクロースが来る日とだけしか知らない人々もいるようです。是非、本来の意味を知っていただきたいです。
*この世に救い主が実際にお生まれになった!
今日の新約聖書箇所の直前の段落であるルカ福音書2章1-7節には、この世にいよいよイエス様がお生まれになったことが書かれています。待ちに待った救い主誕生ならば、最高の環境で、人々の大歓迎を受けつつ生まれてもよいはずなのに、全く逆の状況であったことが記されています。この世での両親が権力者によって旅を強いられ、その旅先で、しかも、人間の部屋でないところ(聖書には具体的な表記はありませんが、言い伝えによれば「馬小屋」)でお生まれになった上に、幼児用のベッドではなく、家畜のえさを入れる飼い葉桶に寝かされたと書かれています。これは、人間の心が神様を受け入れるスペースを持ちにくいことを暗示しています。
*人間界で低く見られていた羊飼いに、神様は救い主御降誕を知らせた!
人間の状況にかかわりなく、神様の御計画は御心のままに着実に進んでいきます。ルカ福音書1章では、イエス様の先導者として洗礼者ヨハネの誕生も、そして救い主イエス様のご誕生も、神様が主導して起こしてくださった出来事であると示されています。そして、それを素直に受け入れた人物として、この「羊飼いたち」が2章に書かれています。彼らは、職業柄、定期的な礼拝が守れないので、低く見られていました。しかも、労働条件の厳しい割には、それほど収入がたくさんある仕事でもありませんでした。人間社会の中では尊敬されない人々でした。しかし、神様の評価は違います!人間界では一番に恵みをいただくことが決して期待されない羊飼いたちに、神様はまず、御自分が救いの出来事を起こしたことを知らせてくださったのです。「救い主を『ひとりのみどりご・ひとりの男の子』として与える」という預言を実際に実現してくださり、しかも、この羊飼いたちに、そのことを天がどんなに喜んでいるかを見せてくださっています。天使の言葉や天の大軍としての大勢の天使による賛美が、この羊飼いたちをどれほど圧倒したことでしょう。その大きな喜びに押し出されるようにして、羊飼いたちは、その赤ん坊を探し出そうと出かけました。もちろん、イヤイヤではありません。「急いで行って」(16節)という言葉は、元々の言葉では「喜び勇んで」という意味が含まれています。
*「しるし」をたよりに、羊飼いたちは「救い主」を探し当てた!
羊飼いたちは天使の言葉をヒントに「救い主イエス様」を探し当てました。天使の言葉の中で、救い主の「しるし」として「布にくるまって飼い葉桶に寝かされている乳飲み子」であると告げられていました。イエス様は、両親が旅の途中だったので産着の準備もなく、宿屋でもない馬小屋で生まれたので、まさしく、この時、「布にくるまって飼い葉桶に寝かされている」唯一の乳飲み子だったのでしょう。詳細は書いてありませんが、ここには、聖霊の導きがあったのではないかと推測できると思います。神様は選んだ人々には、事前に知らせてくださり、そのとおりのことを実現し、聖霊(神様の霊)によって、彼らを導いてくださる御方だからです。
*神様の出来事を素直に信じられる喜び
羊飼いたちは、天からのお告げが現実になったことを体験しました。彼らの体験した一連の出来事で、神様の出来事は御心のままに確実に進むけれども、人間はただ単に神様の奴隷のように言いなりに働かされるわけではなく、御心に適った人々には、それが神様が主導で起こされる出来事だとわかるようにしてくださること、そして、そのような神様の恵みが自分に降ると素直に信じられる人は、その恵みがわかった後は黙っていられず、話さずにはいられないほどの喜びにあふれることがわかります。
*「神をあがめ、賛美しながら生きる人生」
最終的には羊飼いたちは「帰って行った」(20節)ので、元の持ち場に帰ったわけであり、表面上は彼らは何も変わっていません。けれども、心が変わったのです。この出来事より前には、ただ単に生きていたであろう彼らが、この出来事の後では「自分を・自分の人生を神様が覚えてくださり、神様の出来事に参加させてくださる」ということが実感としてわかり、これ以降の人生において「神をあがめ、賛美する」ように変えられたのです。それが信仰を持つことの醍醐味です。同じ出来事を体験しても、信仰者は、(表面的な幸・不幸にとらわれず)どのような出来事でも神様が共にいてくださることを信じ、「神をあがめ、賛美する」大いなる喜びに導かれていくのです。私達を本当の喜びに導くために、神の御子が「救い主」として、人間の中でも最弱の姿(赤ん坊)となってこの世に降りてきてくださったのです!

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