12月9日の説教要旨 「洗礼者ヨハネの誕生の予告」 平賀真理子牧師

マラキ書3:19-24  ルカ福音書1:5-25

 *はじめに

 先週の主日から待降節(アドベント)に入っています。今年のアドベントとクリスマスの時期に与えられたのは、ルカによる福音書の中のイエス様の御降誕に関わる箇所です。この福音書の特徴の一つに挙げられることは、イエス様の御降誕だけではなく、救い主の道を整えるために先を歩む者として用いられた「洗礼者ヨハネ」の誕生についても大変詳しく記されていることです。

 

 *最高の預言者エリヤの再来としての「洗礼者ヨハネ」

救い主をこの世に送るという神様の約束が、預言者を通してイスラエル民族に与えられていましたが、預言者マラキは、主の御降誕の前に「預言者エリヤを遣わす」と告げていたことが、旧約聖書マラキ書3章23節に書かれています。預言者エリヤは、数々いた預言者の中でも最高に力のあった預言者としてイスラエルの民に尊敬されていました。マラキ書の「主の前に送られる預言者エリヤ」とは、かつて存在したエリヤそのものではなく、まさしく「エリヤの霊と力」を受けた人物のことです。神様は約束どおり、人間として最高の霊と力を授けられる人物の誕生を、「救い主の誕生」の事前に、確かに御自身でご用意してくださったことを、ルカによる福音書は証ししようとしています。

 

 *父親となる祭司ザカリアに天使が喜ばしい御言葉を告げる

エルサレム神殿で特別任務をしていた祭司ザカリアのもとに、天使が来て、待望の男子が与えられると告げます。けれども、人間の常識から見て、不妊だった夫婦がもはや高齢となった末に子が授かるなど、ありえないことです。ザカリアの心に、主の御言葉への不信仰を感じた天使は、「神様の出来事=洗礼者ヨハネの誕生」が実現するまでは、ザカリアは口がきけなくなるという罰を下しました。

 

 *夫ザカリアの不信仰を補った妻エリサベトの「神への賛美」

このような状況で、ザカリアの妻エリサベトは、神様の御計画を実際に身に受け、「主が目を留めてくださり、『不妊の女』(1:36)という恥から救ってくださった」と賛美したのです。祭司である夫ザカリアの頼りない態度と対比すると、当時の社会で、夫よりも低く見られていた妻、しかも汚名で苦しんでいたエリサベトこそ、主の先駆けとなるべき大事な子供の親としてふさわしい信仰を示せたと言えるでしょう。

 

 *「洗礼者ヨハネ」の役割

洗礼者ヨハネは、祭司の家系出身であり、成長過程も立派だったので(1:80)、彼こそが救い主ではないかと人々に期待されたのです。人間の知恵なら、生まれも育ちも最高の人間を救い主としたでしょう。ところが、神様の知恵ではそうならず、むしろ、人間の社会で最高レベルの人間を証し人に立てることで、後に来る神の御子・救い主イエス様が、人間より確かに優れている証しを立てさせようとされたと思われます。

生まれる前から神様に用意された「洗礼者ヨハネ」は、主の前にその道を整える者として、大きな役割が3つあったと言えるでしょう。一つめは、民衆の心を本当の神様へと立ち帰らせることでです(悔い改め)。二つめは、救い主イエス様に洗礼を授けたことです。神の御子であるイエス様ですが、公生涯を始めるにあたり、ヨハネから洗礼を受けた直後、天から父なる神様の祝福の声が降ったことが、マタイ・マルコ・ルカ福音書に記されています。特に、マタイ福音書では、ヨハネから洗礼を受けることが正しいことだとイエス様はおっしゃいました。神様の御心に適っていたのです。三つめは、無実の死の先駆けです。不義を行う領主によって逮捕されたヨハネは、酒席の戯言のために、無実の身でありながら死刑になります。この姿は、罪なきイエス様が十字架刑で死ぬ定めの先駆けとも受け取れます。現に、マタイ福音書では、ヨハネの死を受けて御自分の行く末を予感なさったであろうイエス様が、恐らく祈るために、人里離れた所に退いたことが書かれています(マタイ14章)。

 

 *「人間への全き愛」から、救い主の先駆けさえも準備なさった神様

「救い主御降誕」のため、神様は、その先駆けとなり、この世での霊的な準備をする役割の人間(洗礼者ヨハネ)を最初から準備なさいました。それは、人間の救いを心から願う「神様の全き愛」から生じたのです。私達も、主の御降誕に備え、心を込めた準備ができるよう、祈りましょう。

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