1月19日の説教要旨 

ヨブ記38:4-6・使徒言行録 17:22-29

「神は天地の主」   佐々木哲夫先生

*はじめに:世界宗教人口

 世界の宗教人口は約60億と言われております。その中でキリスト教は20億、イスラム教は12億 ヒンドゥー教は8億、仏教は3億6,000万です。ユダヤ教を起源とする一神教のキリスト・イスラムは合わせると32億。他方、バラモン教をルーツとするヒンズー・シーク・仏教系は約12億です。世界宗教か民族宗教かという分類もありますが、何れにせよ、今日において、一神教の神と自然神の神が宗教の双璧(そうへき)になっています。

今朝は、聖書を通して私たちに知らされている神とはどのような神かについてご一緒に思いを巡らしたいと思います。

*アレオパゴスの説教 

使徒パウロは、第二次伝道旅行においてアテネを訪れております。アテネには、貴族たちの会議所が置かれていた小高い丘アレオパゴスがあります。パウロはその丘の中央に立って演説を行いました。というのはアテネの道を歩いている時に見たのですが、至るところに偶像があり、その中に『知られざる神に』と刻まれている祭壇を見つけたからです。パウロは、「あなたがたが知らずに拝んでいる『知られざる神』についてお知らせしましょう」と語っています。アテネの聴衆は、ギリシア神話に登場する神々に親しみ、哲学者の議論する学説に心惹(ひ)かれていた人々で、耳が肥えていました。そのような人々に向かって本当に信ずべき神を紹介したのです。

*聖書の神

パウロは、聖書の神について二つの点を強調しています。

第一は、世界とその中の万物を造られた神であって、この天地を超越していることです。すなわち、人間の手で造られた神殿に安置され、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要がないのです。『知られざる神に』と刻まれた祭壇に納まる神ではないのです。

第二は、すべての人に命と息とその他すべてのものを与えてくださる神であることです。聖書の神は、人間の魂と身体の存在の根本原因、換言するならば、人間が寄って立つべき基盤であるのです。そのような関係が神と人とにあるのですが、人間は、この世で学ぶにつれ、また、身の回りの出来事を上手に対応管理するにつれ、神と人との関係を逆転させてしまいます。神を『知られざる神に』と刻んだ祭壇に納めて相対化し、他方、自らを自律する存在と考えてしまうのです。

*主客転倒

旧約聖書のヨブに向かって天地万物の創造主なる神は問います。

本日の旧約聖書の箇所です。「わたしが大地を据えたときお前はどこにいたのか。知っていたというなら理解していることを言ってみよ。誰がその広がりを定めたかを知っているのか。誰がその上に測り縄を張ったのか。 基の柱はどこに沈められたのか。誰が隅の親石を置いたのか」と問います。主客転倒の思いを問いただしたのです。

ヨブは、自分の存在起源である創造主なる神を再認識し「私は取るに足りない者、何を言い返せましょうか。私は自分の口に手を置きます(40:4)。私は自分を退け塵(ちり)と灰の上で悔い改めます(42:6)」と語っています。

*インダス文明の神

 他方、インダス文明の宗教であるバラモン教の神は、紀元前5世紀頃にヒンズー教の神として整えられました。インダス文明の担い手である人々は、世界と人間の存在に驚きと恐れを持ち、宇宙に偏在(へんざい)する神をあがめました。そして、自己の中にも存在するその神と自分(自我)とを同一化しようとします。禁欲と出家による修行によって、神と同一化しようと試みます。それは、人間の短い一生の間にはなかなか実現できない事なので、「同一化、悟り」は、輪廻(りんね)転生(てんせい)という永遠の中で試みられることになります。

*ヒンズー教・仏教

その流れの中から釈尊(しゃくそん)の仏教が出てきます。涅槃(ねはん)の境地に至った存在者である阿弥陀(あみだ)如来(にょらい)、大日如来(だいにちにょらい)、薬師(やくし)如来(にょらい)などが住む極楽(ごくらく)浄土(じょうど)は、十万億土の彼方(かなた)に存在すると考えられました。

インドでは、仏教はやがてヒンズー教に戻り吸収されます。ですから仏教にも梵天(ぼんてん)や帝釈天(たいしゃくてん)などの神が存在します。仏教での神は六道の世界にある存在で、如来よりかなり低い存在です。

このような歴史を概観するならば、日本に仏教が伝来した後に、日本古来の民族宗教の八百万(やおよろず)の神を仏の化身(けしん)であるとする本地(ほんち)垂迹説(すいじゃくせつ)が出てきた理由を見出す思いがいたします。

*シュメールの神

 ところで、創造神は、古代オリエントの神話やギリシャ神話においても登場しています。それら神は、すべて、人間から遠く離れた世界にいます。遠くから人間を眺め、人間世界に影響を及ぼしました。

例えば、古代シュメール神話の人間創造は、農作業などの雑務に追われた神々にかわって労働する者として創造されました。

次のような記載があります。

神々が集い、互いに言う。「…偉大な神アヌンナキたちよ。そなたたちは一体何を変革しようとするのかね。」 

その中の二人がエンリルに答えて言う。「 …あなた方は二人のラム神を殺して、彼らの血でもって人間を造るのです。 … (今まで)神々が(になってきた)仕事は(今や)彼ら(人間)の仕事でありますように。」

畑仕事、土木工事、家畜の増殖、神々の祭りの執行など、神のために働く人間が創造されたのです。

*ヒンズー教の原人

他方、ヒンズー教の教えでは、原人プルシャの身体から太陽神々 や人間など世界の全てが生まれたといいます。

古代インドの聖典の一つ『リグ・ヴェーダ』に次のように歌われています。

神々が原人を切り分かちたる時 その口はバラモン(司祭)となり。その両腕はラージャニヤ(武人)となり。その両腿(りょうもも)からはヴァイシャ(農民、商人)が、その両足からはシュードラ(奴隷)が生じた。 

これが人間を4つの身分に分類するカースト制度の由来です

*共にいます神

さて、第28代 日銀総裁(平成10年〜15年に在職)の速水(はやみ)優(まさる)さんという方がおられました。縁がありまして2004年(平成16年)に東北学院の教職員修養会の講演を担当しております。

基督者(きりすとしゃ)の速水さんは、日銀総裁人事の独立性、マクロ経済における円高基調の重要性などの難しい話をされました。

そしてもう一つ、日本の国の行く末を左右するとも言って過言でない重要な会議の連続において、いつも執務室から会議室に赴く時、壁に掲げられていた聖書の言葉「恐れるな。私はあなたと共にいる」(イザヤ43:5)の聖句を心に刻み、祈ってから出かけたことを話してくれました。

速水さんのお話は、知られざる神ではなく、命と息とその他すべてのものを与えてくださる神が、今なお私たちと共に近くおられ、私たちの歩みを導いてくださる方であることを証(あかし)するものでした。

聖書を通して知らされている三位一体の神が私たちに近くある神であることを再認識したいと思います。