2020年7月19日の説教要旨 ヨブ記9:2-13・マタイ福音書14:22-33

「神への信頼」     加藤秀久伝道師

*はじめに

ヨブという人物は、長い間、神様から祝福された生活をしてきました。家族が祝福され、財産も豊かに与えられていました。しかしヨブはある日突然にすべてを失い、苦しみの中で、なぜ、このような状況にあるのかが分からず、その答を見出したいと求め続けていました。ヨブはそのような葛藤の中にあっても、神様がこの天地を支配する方であることを思い起こしています。「山も、大地も、太陽も、星々も、そして海の高波さえも、神様の命令に従う」と語ります。(ヨブ記9:5-8)

しかしまた同時に、ヨブは、神様がそばを通られても気づくことがなく、過ぎゆかれても悟らない、自分の愚かさを嘆きます(同11節)。

なぜ人は、神様が計りがたいほどの大きな業をなされ、数々の不思議な業を成し遂げられていることに気づくことができないのでしょうか。

*気付けなかった弟子達

弟子達は、舟で湖の向こう岸へ向かっていました。夜になる頃、舟は岸から何キロメートルも離れていました。しかし強い向かい風だったので、彼らは、波に悩まされていました。夜明け頃、イエス様は湖の上を歩いて弟子達のところに近づいて来ました。弟子達は、イエス様が湖の上を歩いてくるのを見て、「あれは幽霊だぁ」と言っておびえてしまいます。

彼らは恐ろしさのあまり、大声で叫んでしまいました。

彼らは、イエス様は「何でも出来る本当の神の子」であることを知っていたはずですが、イエス様が湖を歩いてくる姿を見ても、人が湖を歩けるはずが無いと思い込み、イエス様に気づくことができませんでした。

イエス様は弟子達に「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と、怖がっている彼らの気持を落ち着かせ、励まし、安心させて下さったのです。その時イエス様に気づくことが出来たペトロは、「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」と言いました。ペトロも水の上を歩いてイエス様の所へ行けるようにして欲しいと頼んだのです。イエス様は、「来なさい」と言いました。ペトロは、その言葉を信頼し、水の上に立つと、イエス様だけを見つめて、歩いて行きました。

*「主よ、助けてください」

ところがペトロは、イエス様から目をはなし、風によって大きな波が立つのを見た時、又、恐ろしくなり、イエス様を信じる心が弱ってしまいました。その瞬間、ペトロの体は、水に沈み始めました。ペトロは、大慌てで「主よ、助けてください」と叫びました。そこでイエス様は、すぐに手を伸ばしてペトロをつかんで助けて下さり、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われました。そしてイエス様がペトロを連れて、舟に上がられた、その時、風がやみました。舟にいた弟子達は みな、イエス様を礼拝して言いました「確かにあなたは神の子です」と。

*主を求める

弟子達は、イエス様の奇跡をたくさん見て、イエス様が何でも出来るお方だということをよく知っていたはずです。この日もイエス様の奇跡を見たばかりでした(14:13~参照)。そのイエス様が、弟子達の舟がうまく前へ進むことが出来ないのを見て心配して近づいて来て下さったのに、弟子達は「幽霊だ」といって怖がり、ペトロも、始めはイエス様の力を信頼していましたが、波を見て怖くなってしまったのです。

私達の心もガリラヤ湖の湖のように、波のない、穏やかな時もあれば、荒れ狂う波が立ち、どうすることも出来ない感情の時があると思います。その私達の心に、平安、落ち着き、安らぎを下さるのは、神の子であるイエス様のほかに誰もいません。

私達がイエス様に対する信仰が弱いと感じる時こそ、「主よ、助けてください」と叫ぼうではありませんか。弟子のペトロでさえ、信仰が弱く、溺れかけました。しかしイエス様は、すぐに手を伸ばしてペトロを助けて下さいました。 イエス様は、信仰の弱い私達を助けて下さる 優しいお方です。イエス様は、私達が困っている時、そのことを一緒に悩み、悲しみ、側にいて、私たちを助けたいと願っているお方です。